ゴードン・S.ウッド「アメリカ独立革命」を読む3
「人は生まれながらにして平等」「ある人々と別の人々との違いは能力を向上させる機会の違いにのみ由来する」つまるところ教育と修養によって人の違いが生まれるという議論は、教育の機会均等をどう担保したらよいのか? という現在の課題にまで通じている。けれど貴族、王党の横行が大手を振って罷り通っていた18世紀後半、多くの人の心を、とりわけ新世界新天地であったアメリカ人の心を捉えたのは間違いないだろう。
さて独立を勝ち取り、王制その他の身分制度から解放された新しい国は、代わって権力を手にした州(各邦)議会の横暴に頭を悩ませる。現在に至るパターンだけど各階層集団のための利益誘導型の政治に陥っていったのだ。ジェファーソンはヴァージニア覚書の中でこう言う。「173人の暴君たちは一人の暴君と同じほどまちがいなく抑圧的になるに決まっている」「選挙で選ばれる専制政治などというものは、われわれが勝ち取った政体ではない」と。
新しい共和国として、通商外交防衛、さらに金融政策面で統一した政策を打ち出せないことによる不利は明らかであった。諸邦の連合会議が機能していなかったのである。ではやはり中央集権的な政府が必要なのか? しかしそれは独立時の各邦が独立した主権を保持する政体とは真反対であった。そこで1787年フィラデルフィア会議が開かれた。その場に登場したのが、政府軍の指揮から退いていたワシントンその人であった。人民全体が最終的な権力を保持しているという認識を取り込むことによって、連邦憲法が成立した。そして現在に至るまでアメリカ大統領は王に代わる強大な権力を保持している。
しかしながら、たびたび引用しているジェファーソンが大統領になると、国家的政府の権限の縮小を図るのだ。それは中間の人々を担い手とする新しいデモクラシーの始まりであった。アメリカの葛藤矛盾は、その後200年経つ今も続いている。丸山眞男曰く「永久革命としての民主主義」なのかもしれない。