オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび552

加藤周一梁塵秘抄」を読む2

 


源平の時代を取り上げたドラマには、必ず権謀術数に長けた後白河法皇が登場する。日本の経済や統治機構をどのように変えたいとか、清盛や頼朝のような政治信念はない。権力維持のための院宣乱発、だから歴史を変えた人としては評価の対象外なのだ。けれども日本芸能史を辿ると梁塵秘抄の編者としてその存在は燦然と輝いている。

ここからはボクの邪推に過ぎないのですが、今様で歌われている言葉は貴族社会ではタブーになっていたNGワードがたくさん含まれていた。だから後白河法皇は他の貴族から変わり者の物好きと言うか、ほとんど疎まれていた一因になっているのではなかろうか? 例えば男女の性愛に関する「共寝」とか「抱く」などと言う言葉は、貴族の皆様には露骨過ぎるのか? 古今集以来和歌に登場しない。けれど梁塵秘抄には出てくるのです。

ところでこの加藤周一さんの本は、1986年に出版されたもので、女心を読んだ今様に言及する章で、37年前の価値観がちらりほらりと見えている。男や女の性差に対して固定的な見方が感じられる。その後平成という時代にジェンダーに対して数多くの問い直しがなされたのだ。また流行について語る部分では、バブルが弾ける前なので失われた20年間を経験した現在の感覚とズレが少々感じられる。しかし、それらを含めて、今様に対する解釈やそこからイメージを自由に広げて社会を語る文章から、私たちは昭和を代表する知の巨人の思想の足跡を伺うことができる。古典を通して己を問い語っているのだ。

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