昭和29年コロムビア歌謡コンクールでの優勝をきっかけに歌手デビューしている。そのコンクールで歌った曲が「涙のグラス」。鳴海日出夫という男性歌手の歌であった。東京地区予選で優勝した時、作曲家万城目正は「太鼓の破れたような声で、なかなか味がある」と評した。とても褒め言葉には思えないが、元々声帯が小さくクリスタルな音質の島倉が男性歌手の低い音を歌おうとして結果そのような印象の声になったのだろう。
代表曲として、多くの人が思い浮かべるのは「からたち日記」でしょう。実は作曲米田信一として売り出されたこの曲には、当初短調と長調の二曲がありまして、本人が長調の方を歌ってみたいと現在の「からたち日記」ができたとのこと。ところで米田信一とは、もちろん遠藤実のことでレコード会社との契約の関係で偽名を使うことになったらしい。
「人生いろいろ」彼女の歌手人生は、本当に波瀾万丈であった。某総理が国会答弁で年金疑惑追及をかわすために口走ったが、本家島倉の人生はもっと悲惨なのだ。まず名古屋での公演中高音が出なくなったことが、きっかけの失踪事件。自宅前の爆弾事件、出演中の劇場への爆破予告、横浜での観客の圧死・・島倉千代子の心を痛める事件が続く。
歌手の本を読んでいると知らなかった曲に出会うことがあります。下の曲もその一曲。
島倉千代子「エメラルドの月」