オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび544

近藤勝重昭和歌謡は終わらない」を読む1

 


話は、石川さゆりの「天城越え」からスタートする。改めて歌詞を読むと何ともおどろおどろしい言葉が並んでいる。心の底に渦舞く情念を歌い上げる演歌は、やはり個人芸だと思う。せいぜいデュエットか? 日本の歌は、個人芸か民謡のような集団芸か、いずれかの流れを汲んでいる。演歌にはアカペラハーモニーでは、表現しきれない世界が広がっているのだ。

箱崎晋一郎の名前が登場する。すぐ思い出せなくても、動画サイトに「熱海の夜」や「抱擁」のファルセットを交えた甘い歌声が残っている。続いて「あなたのブルース」パスキーボイスの矢吹健。著者は女心を歌った歌詞に言及しているが、その歌詞に命を吹き込むのは最終的には歌手の力。どんなに歌詞や曲がよくできていても歌手なくしては、誰にも伝わっていかないのだ。

作詞家の代表選手として、軟派=不良系のなかにし礼が語られる。合唱人間としてはこれだけ人生のドロドロを書いてきた人が、ベートーヴェン「第九」の邦訳をしているところが面白い。対照的な硬派の作詞家が阿久悠。筆者は作詞作業に文学性を込めようとしたなかにし礼とあくまでも歌とセットになった商品の一部と捉えている阿久悠を「石狩挽歌」と「舟唄」を比べながら語っています。

昭和世代のオヤジの繰言になりますが、令和の世になり歌われる詞の中身は、かなり変質してきているように感じています。

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