オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび603

千葉雅也「勉強の哲学 来たるべきバカのために」を読む

 


本書のはじめに「来たるべきバカとは、新たな意味でのノリを獲得する段階である」と書いています。道具的な言語使用から玩具的な言語使用へ。漫才のツッコミとボケがアイロニーとユーモアに対応していることを例に引きながら、浮いた語りの分析が勉強の本質につながると言う。そしてコードの転覆を図る。

ぼくなりにこんなことかな? と考えてみた。例えばテレビから食レポが流れてくると「美味しい!」が決まり文句=コードになる。しかし、学校教育の現場を離れたので書いてしまうが、給食はおいしい日もあれば、・・・な日もある。何校が転勤するとわかるが学校差もある。材料とレシピは共有していても、アジは違うのだ。ここで子どもたちに「本当に美味しいの?」と聞くことは、リスキーであるがコードを転覆させる可能性をはらんでいる。「美味しい」と答えることが、学校の中では常識になっているからだ。もっと掘り下げれば「美味しいって一体何?」に到達してしまう。一定の用法を前提としていた言葉が揺らいでしまうのです。しかし、そこへ「美味しさって、音楽を聴くようなものじゃない?」とまったく違うボケ的な発言があると、会話の方向性が変わっていきます。

話題やテーマが取り止めもなく拡散してしまい、落とし所が見えなくなった時、個人的な「享楽的なこだわり」が方向を示してくれる。美味しさや音楽美についても、自分のこだわりが次の学びへと発展しますよね。これこそが来たるべきバカとなって変化し続けていく姿なのでしょう!

本書は、一般書と学問書の性格を併せ持っており、読み手として若い学生を対象にしている気配がある。けれど勉強がエンドレスであり、到達点を仮固定しながら変化成長してすべきものであるならば、これから勉強をやり直そうとしているシルバー層にも読まれていい本なのかもしれない。

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