オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読む

ピアノという楽器は、その能力の高さ故、楽器としてほぼ現在の形になってから、ずっと音楽家にとって無視できない存在であり続けてきたし、ジャンルを問わない活用方法も含めて、今後も楽器の王様であり続けるだろう。
私は、商売柄伴奏を弾く時があるけれど、この楽器とあまり親しくお付き合いしていない。純正律へのこだわりから平均律楽器を遠ざけているという建前もあるが、この楽器で美しい音を奏でる技術が乏しいことを嫌になるくらい知っているからでもある。この楽器で音を出すことはたやすいが、美しい音を出すのは至難なのである。
本書は、浜松市を連想させる都市で開かれたピアノコンクールで、風間塵、マサル、栄伝亜夜、明石を中心とするピアニストたちが、どのようにこの楽器と向き合い、音楽をつくりだしていったのか?という物語である。音楽を文章にすることは、かなり困難を伴う。吉田秀和さんは、補助資料?としてよく楽譜を引用していたが、作者もその難しい課題にチャレンジしている。
例えば、本書における要注意人物である風間塵のピアノタッチは、いかなる音であるか?それを読者が今まで経験したピアノ演奏の中から類推できるか否か?は、本書を読み進める上で、大切なイマジネーションだと思う。また本書に登場する選曲は、もちろん作者の手によるが、風間塵が演奏するバルトークの特徴やコンクールのための新作「春と修羅」のカデンツァに取り組むピアニストたちの葛藤は、とても上手く描かれていると感じた。
演奏を準備する過程で風間塵が、ピアノの位置やオーケストラの位置にこだわりを見せる場面がある。アコースティックな音響で勝負するクラシック音楽は、最もホールがよく鳴る方法を常に模索し続けなければならないことを示している下りだが、自分も合唱というアコースティックな音響の世界に浸かっている一人なので、いい勉強になりました。