オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび630

ちばてつやが語る「ちばてつや」を読む2

 


この本は年代別にちばさんが作品にまつわる思い出を振り返っていく形で構成されている。私にとって初期の貸本漫画時代や週刊誌に漫画を連載し始めた当時の漫画は、タイトルでしか知らない作品も多く、とても興味をもって読み進めることができた。

ところで不思議な話だが、来るべき大作を準備していたかのような作品がある。ベートーヴェンが第九交響曲を完成させる前に「合唱幻想曲」を書いているような例は、ちばさんにもある。「あしたのジョー」の前に「魚屋のチャンピオン」というボクシング漫画があるのだ。さらに「ハリスの旋風」に出てくる拳闘部。すでにイメージができていたのだろう。原作者として梶原一騎さんと組むことになった時、ちばさんはかなり困惑したようだ。

梶原一騎の描くリアルでシリアスな世界と、ちばてつやのおおらかな天然キャラとの落差は水と油ほどに違う。しかしその相乗作用から「あしたのジョー」が誕生したのだ。ちばさんは登場人物を大きく描いてしまうことがあるらしいが、力石徹がそうだった。しかしそれを逆手にとってジョーとの対戦に備えてバンタム級まで体重を落とす力石の減量地獄が描かれたのだ。ジョーは大人に近づくと共に身体が大きく描かれていて、読者も成長するから並行した描き方になっているが、おれは鉄兵では、逆に小さくなってしまったと言う、

また力石の死後ジョーが対戦相手の顔面を打てなくなってしまうのだがこの主人公がもがき苦しむ期間に、何と連載執筆中のちばさん自身も十二指腸潰瘍で手術を受け入院してしまう。そしてラストを飾る名場面。ジョーがホセ・メンドーサとの世界タイトル戦を終え白い灰となるシーン。ファンの一部にはジョーが死んでしまった説があるが、作者は燃え尽きて抜け殻になったジョーを描いたと語っている。

この時期「明るく元気に」がテーマのちば漫画も、梶原一騎の影響だろうか? 世の中の暗い場面に目を向けるようになり、スリを主人公にした「モサ」や殺人を犯す少年を描いた「餓鬼」を描く。個人的な思いとしては、ちばさんはやはり少年少女に愛される漫画家だと思う。だから大人向けコミックでもラブシーンはない。のたり松太郎でも向太陽でも主人公の子どものような眼が魅力なのだ。

最終章でプロとアマチュアの違いについて語っている。自分で描いて楽しむのがアマチュア。自分が楽しければいいと自己完結しているのだ。その楽しさを自分以外の人にどうすれば伝えられるか? 悩み苦しみ続けるのがプロ。そしてそれは漫画に限らず、合唱然り。他者に向けて発信するすべての表現に当てはまると感じました。

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