オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび640

関裕二「縄文の新常識を知れば日本の謎が解ける」を読む

 


一般に社会で学ぶ対象を「人・もの・こと」と言うけれど、その中でも歴史は、文書・記録を元にした過去を学ぶことだから、縄文を始め文字を持たなかった文化は、その様子を手繰り寄せることが難しい。

しかし「日本人はいつ頃どこからやって来たのか」という問いについては、ヒトゲノムの解析がヒントを与えてくれている。答えになってないが「北、西、南・・いろいろなところからやって来て、長い期間を経て混じり合った」ということになるだろうか? 

元々の文化に積み重なるように新しく移入された文化が取り入れられていく過程は、文字言語の輸入過程に似ている。元々土着の発音=やまとことばは訓読みとして残しつつ、輸入した中国の読み方や意味を取り入れていく。やがて書くのが億劫になると、ひらがなやカタカナという独自の文字を表音に使い始め、重層的だった言語が、さらに複雑になる。

三内丸山遺跡には、大きな集会が可能な住居跡が残されている。本書では「定住していた縄文人」に対して、稲作を始めた人々は組織的に戦いを始めることを知っていたから、稲作について慎重だったと述べ、強い王の発生を嫌っていたという説を紹介している。

やがて本書は、ヤマト王権の成立にまで筆を進めていき、彼らの王が祭祀を司る王であったことに、縄文文化の影響を指摘する。九州北部に鉄や富を蓄えていた豊かなクニがあり、強権的な王がいたと思われる。これに対抗したヤマト王権の始まりは、ゆるゆる連合の中からとりあえず代表を選ぼう的に、言い換えれば縄文集落的に始まったと筆者は推論している。滋賀・伊勢・吉備・・そして決定打的に出雲がヤマトをサポートしたことで九州北部に存在した強いクニを傘下に置くことができたという説なのです。

 

2024年春、日経平均株価がバブル期を超えて最高額を更新し四万円を超えたニュースや、人々が確定申告義務を果たしている時期に、国会は裏金問題でまだ紛糾している。どちらもある意味で富の象徴なのだろうけれど、縄文時代以来日本人が感じて来た豊かさとは別次元にあるような気がします。だからGDPが世界4位に落ちても、若者を中心に「それがどうかしたの?」という反応になる。

ボクはそれでいいと思う。この決して広くない、自然災害の多い土地で、日々心の平安を保っていくために大切なことを、縄文の昔から精神文化の中に息づいていることを探っていきたいと思います。

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