オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび380

大谷能生「平成日本の音楽の教科書」を読む1

 


音楽が好きですか? と尋ねたら、かなり大勢の人が好きと答えるだろう。では音楽が得意ですか? と聞くと、かなり首を傾げて手を挙げる人が減ってしまうと思う。もっと突っ込んで、学校の音楽の授業が楽しかったですか? と聞いたらどうだろう。楽しいという字が入っている科目は「音楽」だけなのに。

音楽教育と言えば、ドレミ音階からスタート! もはや疑う人がいない常識かもしれません。けれど筆者は、日本の音楽教育を始めた伊沢修二が、江戸時代の新内や清元という日本独自の歌い回しを全否定していることをしっかりと指摘する。邦楽が口伝で教授されるのは拍節や音律感が、西洋音楽と違うことを守ろうとしているのでしょう。

続いて筆者はざっくり小学校の音楽教育では、どんなことを感じ取れるようになったらいいか? を語っていく。行間を丁寧に読み込んでいくと、自分の声をちゃんと聴けるようになること、楽器との出会いを通して自分の身体の外に音があることを知り、楽器で音を出したり歌を歌ったりを繰り返しながら、楽音に気づいていくこと・・などが大切だと書いている。

私は平素は教える側なので、教えられる側から書けば、こういうことか! と本書から学びました。

オヤジのあくび379

野並豊「大正浜っ子奮闘記」を読む3

 


駅弁。現在は駅構内で買って列車に乗り込むスタイルだけど、昔は列車の窓が開いて、弁当の売り子さんを呼べたものだ。また停車時間も今よりは長く、その間にプラットホームへ買いに行くことができたと思う。なぜ変わってしまったのか? それは新幹線の登場。ご存知の通り窓は開かないし、降りている時間なんてない。

駅弁の崎陽軒もこの煽りを受けて、商品をシウマイの真空パックなどへシフトしていく。その頃から歌われているのが以下の歌。

 


https://youtu.be/scy5NEhLNmc

 


本書はほぼ時系列で語られているが、崎陽軒の社長を退任してから後は、筆者が関わっている横浜市内でのボランティア活動の話が続く。話の底に筆者の深い横浜愛が流れていることがよくわかる。

 


本書中の言葉から

 


傲慢になりそうな時こそ謙虚になり、卑屈になりそうな時こそ自己の尊厳を忘れないことが大切。

 


命大事、生存大事。これは筆者の父親の言葉が元。筆者が困難に直面した時、それは命を取られるほどのことなのか? それでもお前は食っていけるじゃないか! と諭された経験か元になっている。ギリギリな状況をくぐり抜けてきた創業者の重い言葉だと感じます。

 


温故知新→温故躍進

オヤジのあくび378

野並豊「大正浜っ子奮闘記」を読む2

 


崎陽軒と言えば、売り子さんが真っ赤なユニフォームに身を包み、シウマイ娘と呼ばれている。昭和25年、煙草の宣伝をしていたピース娘にヒントを得た社長は、シウマイ娘を横浜駅の駅等に立てる。その後昭和27年毎日新聞に連載されていた獅子文六の小説「やっさもっさ」にシウマイ娘が登場する。さらには映画化されると、全国的に有名になる。

そして、昭和29年。いよいよお待ちかねシウマイ弁当が登場します。何とシウマイ弁当は私の2年先輩だったのですね。最初の価格は100円!好評を得て現在まで崎陽軒を代表する商品であることはご承知の通り。

横浜駅と言えば、現在は相鉄の事業のおかげで西口の方が賑わっているのですが、さらに昔は海に面している東口がメインだったはず。私が大学に通っていた頃、東口に聳えていたのが、崎陽軒のシウマイショップ。昭和30年に建てられた建物だと本書で知った。今は新しいビルになっているけれど、友人のSと一緒に初めてピータンを食べた思い出があります。当時私はこの店の辛味丼が大好きで、よく食べていました。

オヤジのあくび377

野並豊「大正浜っ子奮闘記」を読む1

 


若い頃は、仕事が引けると仲間たちと連れ立って、よく飲み食べ、そして歌っていた。そのうちの一軒がN飯店で、シューマイがとてもおいしかった。何でも崎陽軒のシウマイの味を自分なりに研究したとご主人が話していた。

さて本書に崎陽軒のシウマイが出てくる。元は横浜駅の駅弁なのだ。温かいからおいしい中華料理という前提を抜け出し冷えてもおいしいシウマイを作ろうという発想だったのだ。ご存知豚肉にホタテの貝柱を練り合わせた味とあの崎陽軒独自の大きさが決まり、昭和3年から売られている。あの大きさは車内の4人がけの席でも一口で食べられるサイズとの由。また、シウマイという独自の表記と発音は創業者である筆者の父祖の栃木訛りが絡んでいるとか。シィーマイと訛ってしまうのだ。そこで本場中国の発音からシウマイと命名されたという。

この本は自叙伝だから、平沼小学校から横浜商業高校へと進学した話が出てくる。地元ではY校と呼び、野球部は、古屋監督の元1980年代は甲子園を沸かせた学校だ。私自身は、夏休みの教員研修にプログラム言語の勉強に通ったことがある。まだパソコンなどない1980年頃、Y校の中に情報教育センターという巨大なコンピュータが置かれた建物があり、そこでフォートランやコボルを教わり、一覧表を作ることができるくらいのプログラムを学んだ。今考えれば、あっと言う間にできるようなことなのだけど、当時としてはそれだけ知っていれば、まぁいいんじゃないかと感じていた。

話が脱線したので残りは次回に。

オヤジのあくび376

名作を読む95

ホフマン作「くるみ割り人形」を読む

 


先日読んだゲーテの「君よ知るや南の国」では演劇好きの主人公が、オペラ興行に消極的になる様子が描かれている。この物語の場合はチャイコフスキーによってバレエのための音楽が作曲され、むしろその方が有名になってしまった感じです。

映画になるときにも感じるのですが、文字言葉からのイマジネーションや印象が音楽になると、かなり変わってしまう。だからこそ元が文学なら、それをしっかり読んでおきたいと思うのです。

野坂昭如さんが作詞した「おもちゃのチャチャチャ」のモチーフは、きっと「くるみわり人形」に違いない。

本編は、おとぎ話のような夢の世界と少女マリーを取り囲む現実世界が微妙に交錯するファンタジー。お菓子やおいしいお肉やソーセージ、くるみ割り人形をはじめとする大好きな人形たちが奇想天外なストーリーを進めます。

この具体と抽象の間を行き来する世界を表現するのは、音楽が得意とするところ。チャイコフスキーの名曲は生まれるべくして生まれたと言えるでしょう。ちなみに作者ホフマン自身には作曲家としての横顔があり、アマデウス! という筆名があったほどなのです。

オヤジのあくび375

名作を読む94

ゲーテ作「君よ知るや南の国」を読む

 


原題は「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」というもっとずっと長い物語で、主人公が少女ミニヨンと出会った場面だけを、少年少女向けに抜き出してある。

父の言いつけで商いの旅に出た若者が、行く先々で様々な悩みを抱えている人と出会い、その経験を通して成長していく物語です。

若者ヴィルヘルムは常に悩める人に寄り添い、ともに解決の道を探ろうと試みている。また、若者は根っからの演劇好きで、遂には一座の座長となったり、主演のハムレットを演じたりするのだが、いろいろなトラブルが起き成功は長続きしない。まるで運命の女神が若者を翻弄しているかのようだ。

さらに運命に翻弄されているのは、少女ミニヨンでサーカスの団長から虐待を受けているところを、ヴィルヘルムに助け出されるのだが、サーカスに売られる前の過去を幼かった彼女自身は知らない。曰くありげにミニヨンを影のように見守る老人アウグスティンがいるのだが、二人の関係は二人が亡くなるまで解き明かされない。ただこの二人が南の国イタリアに強い憧れを抱いていたことだけが、彼らの歌から分かるだけなのだ。

 


ところで、少女ミニヨンが歌う「君よ知るや南の国」は、名だたる作曲家にインスピレーションを与えて、有名どころでは、ベートーヴェンシューベルトシューマン、ヴォルフの曲がある。

シューベルトのミニヨンをどうぞ。

 


https://youtu.be/0x6KCm0vvxc

 


失恋に終わっているが、74才になっても19歳の女性を好きになり、成就しなかった結果が詩集として残った。この底なしの若々しさというかエネルギーはいったいどこから湧き出てくるのだろうか? いくら真似をしたくても、ゲーテには叶わないなぁ。

オヤジのあくび374

名作を読む93

ルルー作「黄色のへや」を読む

 


さて推理小説の読後感をSNSに投稿するのは、意外に難しい。ネタバレと紙一重なりかねないからだ。推理小説の面白さは最後のどんでん返しに集約されているわけで、そこまで読み切って「あっ」と読者を驚かせる仕掛けがキモなのだと思う。

その点では「刑事コロンボ」は、冒頭から犯人を明かしており、コロンボがどう解き明かすか? だけに的を絞っていた点では異色だった。

お決まりのように天才少年とその相棒が登場する。弱冠18歳の新聞記者、ルーレタビーユだ。

ホームズとルパン、明智小五郎怪人二十面相のように、犯人も犯罪者として天才的でそうそうしっぽを現さない。

ところでこの手の話によくある手口は「変装」。そしてそのトリックに誰も気づかないことがお約束。つまり作者だけが誰と誰が同一人物であるかを知っているわけなのだ。

これは悪人に限らずカッコいい!月光仮面が誰だか知らないし、ウルトラマンの正体もわからない。施設に贈り物をした実在のタイガーマスクさんもその一人。

話は逸れてしまいましたが、今に至る推理小説のかっこよさが、もうすでに詰まっている名作だと思いました。