野並豊「大正浜っ子奮闘記」を読む1
若い頃は、仕事が引けると仲間たちと連れ立って、よく飲み食べ、そして歌っていた。そのうちの一軒がN飯店で、シューマイがとてもおいしかった。何でも崎陽軒のシウマイの味を自分なりに研究したとご主人が話していた。
さて本書に崎陽軒のシウマイが出てくる。元は横浜駅の駅弁なのだ。温かいからおいしい中華料理という前提を抜け出し冷えてもおいしいシウマイを作ろうという発想だったのだ。ご存知豚肉にホタテの貝柱を練り合わせた味とあの崎陽軒独自の大きさが決まり、昭和3年から売られている。あの大きさは車内の4人がけの席でも一口で食べられるサイズとの由。また、シウマイという独自の表記と発音は創業者である筆者の父祖の栃木訛りが絡んでいるとか。シィーマイと訛ってしまうのだ。そこで本場中国の発音からシウマイと命名されたという。
この本は自叙伝だから、平沼小学校から横浜商業高校へと進学した話が出てくる。地元ではY校と呼び、野球部は、古屋監督の元1980年代は甲子園を沸かせた学校だ。私自身は、夏休みの教員研修にプログラム言語の勉強に通ったことがある。まだパソコンなどない1980年頃、Y校の中に情報教育センターという巨大なコンピュータが置かれた建物があり、そこでフォートランやコボルを教わり、一覧表を作ることができるくらいのプログラムを学んだ。今考えれば、あっと言う間にできるようなことなのだけど、当時としてはそれだけ知っていれば、まぁいいんじゃないかと感じていた。
話が脱線したので残りは次回に。