オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

マイ フェイバリッツ ソング 3

 プロコルハルム 青い影

イントロが流れてくるだけで、「この曲知ってる!」と気づく名曲がある。マシュー・フィッシャーがオルガンで奏する美しいイントロ(バッハのカンタータ140番にヒントを得たという)に青春の思い出を重ね合わせる人も多いだろう。

 昔、横浜駅西口の五番街側(相鉄口と言った方がわかりやすいか?)に、横浜としては、かなり大きな「マイアミ」という喫茶店があった。学生時分から、打ち合わせや待ち合わせの場所として利用させてもらったのだが、今は外資系の証券会社が入って、過去の面影はまるでなくなってしまった。
 ここの店は、ピーチメルバを出してくれるので、甘さに対する願望が子どもの頃から変わっていない私は、よく注文して食べていた。この店に流れる曲は、和洋を問わずポピュラーの名曲で、何十分か座っていると必ず流れてきた曲が、この「青い影」であり、オフコースのデビューシングルである「眠れぬ夜」だった。

 バッハのカンタータをモチーフにしていると書いたが、ほんの少し近寄るだけでその巨大さに愕然とする作曲家がバッハだ。曲の和声進行は、バッハの原曲を下敷きにしているので、「青い影」から漂ってくる美しい曲の流れ、だれもがその響きに心を静めて聴き入ってしまうほどの魅力は、その半分はバッハの手柄と言えるかもしれない。同様にバッハの名曲を下敷きにして、美しい曲を書いたソングライターがいる。以前当ブログでも少し紹介したが、曲の名前は「アメリカの歌」。作曲は、かのポール・サイモンである。S&Gを解散して二枚目になるソロアルバム「ひとりごと」に収められたその曲でポールは。バッハのマタイ受難曲を下敷きに使っている。

 クラシックをベースにした曲作りは、プロコルハルムのリーダーであるゲイリー・ブルッカーとオルガン奏者マシュー・フィッシャーの共有点であり、その後多くのミュージシャンに影響を与えてきた。日本では、当時中学生だった荒井由美松任谷由美、つまりユーミンのこと)が、プロコルハルムの演奏に触発されて、曲を作り始めたと言う。そう言えば荒井由美当時の作品で「翳りゆく部屋」は、まさにプロコルハルム的にクラシカルな雰囲気を全面に押し出した曲と言えるだろう。

 ロックという音楽が、リズム&ブルースを親として誕生した元気いっぱいの子どもであることに、だれも異論を挟む余地はないだろう。ただこの子どもは、その旺盛な活動力でいつの間にか親元を飛び出し、他の家と盛んに交流するようになる。プロコルハルムであれば、それがクラシックであり、ビートルズであれば前衛音楽だったりするわけ。

 そして、60年代の後半から、ロックという枠には、もはや収まりきれない様々な試みが展開する。シンセサイザーを使って実験的な音楽を展開したピンク・フロイド。ロックもここまでできるのか!とすさまじい演奏を聴かせてくれたキング・クリムゾン。他にもイエスEL&Pジェネシスなど新しい試みに挑むグループの傾向を、プログレッシブ・ロック、略してプログレと呼ぶ。40年が経過した現在では、サウンド自体のもつ先進性は、さすがに色褪せはじめてきているが、演奏を支えるエネルギーにほとばしる覇気の凄まじさは、十分に伝わってくる。

 ところで、彼等のデビューアルバムに大ヒット曲「青い影」が含まれているのだが、このアルバムは、曲による出来不出来というか質の差が激しく、「青い影」を野球の逆転サヨナラ満塁ホームランに例えれば、内野ゴロや三振の曲も含まれており、まさに玉石混淆と言った様相のアルバムなのである。

 彼等の本当の実力を知りたければ、むしろ70年代に出した「グランドホテル」というアルバムを聴かれるとよい。プログレッシブ・ロックの先駆者であった彼等の答え(結論)が、そのアルバムに出ているように感じられる。「TV シーザー マイティマウス」などというアニメのヒーローを歌っているような曲にも、彼等一流の音作りが施されており、名盤の一つに数えるべき一枚と言えよう。

 1977年ゲイリーは「すべてをやりつくした。」として、グループを解散している。しかし、彼等が創り上げた音楽の美しさと常に先進性を求めてやまない姿勢は、今後も永くファンの心に残り続けるだろう。