オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

音符の功罪を問う 3

 小生、恥ずかしながら、小学校教員として音楽を専門に教える専科をしていた時代が十年弱あり、合唱団の指揮者を務めていた時代が通算二十年弱ある。その指揮者を務めていたころの話。

 その頃、その混声合唱団では、「切手のないおくりもの」を歌っていた。「わたしから あなたへ この歌をとどけよう」で始まる財津和夫さんによる佳曲だ、(売れっ子グループ=チューリップの財津さんが、どのような経緯でNHK「みんなのうた」に関わったのか、いずれ調べてみたいところ)「わたしから」の「か」は、付点四分音符で、続く「ら」は八分音符だから、「ら」の入りがいわゆるウラ拍になるシンコペーションなのだが、このリズムが実はなかなかそろわなかった。

 音符通りに歌おうとするメンバーと聞き覚えで歌おうとするメンバー、さらにはこのようなウラ拍のリズムそのものにのれないメンバーが混然一体となり、早い話がバラバラになったわけである。指導の順番としては、まずウラ拍を正確に歌えないメンバーに対して、助言しなければならないのだが、私は全員がウラ拍を正確に歌う事だけでは、解決しないと思っていた。

 なぜなら、この歌の場合「わたしから」の「か」は、正確な付点四分音符よりもいくぶん短めに歌い「ら」がいくぶん早く入った方が、語感的に自然で、音楽的にもやわらかい旋律線が生きると、私は考えていたからである。
それでは「楽譜通りに歌っては、うまくいかない」ことをどう伝えたらよいのか?残念ながら当時の自分には、よくわからなかった。つまり立ち往生してしまったわけである。今ならどう伝えるだろう?私が歌うように歌ってみて下さいとでも言うか?それでも「楽譜こだわり派」の諸君を説き伏せるのは、難儀だなあ〜。

 楽譜を忠実に再現することが、まずは第一。そう信じ切ってやまない超真面目人間がいる。しかし、それでは前回の最後にも書いたように、音楽のすべてを再現、いや再創造することはできないのだ。

 ちなみに「大漁歌い込み 斎太郎節」の「エンヤトット」は、楽譜で表すと八分音符×4でしか表記できないし、原曲のリズムを体験していない=例えば外国の合唱団が歌えば、楽譜通りに歌うしかない。だが、我々日本人ならば、一度は口ずさんだことのあるあの微妙なリズムのニュアンスは、どう考えてみても音符では表現しきれないのである。