オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

神妙にマタイ受難曲を聴いてみる 5

 美しすぎるアリア

 声楽曲を聴く喜びは、いろいろ挙げられようが、その上位に「美しい旋律を最上の歌声で聴くこと」がランクインされるのは、間違いないことだろう。

 では、このマタイ受難曲で一番美しい旋律はどこか?それは、49曲目のソプラノアリアである。「私の救い主は罪のおぼえがないのに、ただ愛のゆえに死に給うのである、それは、永遠の破滅と裁きの罰が私に残らないようにするためである。」独奏ヴァイオリンを伴って歌われるこのアリアの美しさは、この曲が宗教曲であったことを忘れさせてしまうほどである。

 この辺りからが難しい話なのだが、宗教曲では、どの程度の感情表現が許容されるのか?ということである。この曲がもしオペラであれば、歌手はもっと朗々とこの美しすぎる旋律を思う存分歌い上げることが可能なのではあるまいか?私の聴いたDVDでも、歌手は過度な感情表現を避け、抑制がほどよく施された歌唱を心がけているように聴こえる。しかし、それもバッハが書いたこの曲の美しさの前には虚しい努力なのである。歌手がどれだけ声を制御しても、この曲のおいしさは、そのベールをかいくぐって聴き手にしっかり伝わってしまうのである。

 49曲の美しさに勝るとも劣らないのは、51曲・52曲目のアルトソロによるアリア。「神よ、憐れみ下さい。ここに縛られているのは救い主。ああ鞭打ち、殴打、この傷口!刑吏たちよ、きみたちは心の痛みをおぼえないのか。その苦悩の表情に心を動かされないのか。」「私の頬を流れる涙になんの力もないのであれば、私の心をとっておくれ!」

 マタイ受難曲の山場がこのソプラノとアルトによるアリアであるという人がいる。音楽の美しさ・おいしさを規準とするならば、十分に肯けるのである。