オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

飽きがこないことは、永遠性と通じるか?

FBで今年のNコンの課題曲「願いごとの持ち腐れ」をChor OBANDESの演奏で聴いた。3拍子系のリズムに、ちょっとひねりの効いた、ブルージーな旋律が乗っかっている。この曲を、何百校数千人、いやもっとかな?が毎日練習しているんだなぁ。
そう言えば、この前のアカペラシンガーズの練習で「光が」の冒頭の旋律が頭から離れなくなったと、ソプラノのAさんが言っていた。一度、あるいは数度聴くと、旋律が心の一角に居座り、しばらく居候を決め込むそんな音楽があるけれど、今回の「願いごとの持ち腐れ」もそのような傾向を感じる。

さて、私は伝統的という意味でのクラシック音楽に関わっている。一つは合唱で、もう一つは、薩摩琵琶。合唱の方は、アカペラシンガーズで今パレストリーナを歌い始めたのだれど、それこそものすごい人数の歌い手が、500年近くこの歌を歌い、この美しさの虜になってきたのだろう。薩摩琵琶は、明治の作品だが、それでも100年は優に超える。多くの奏者が、情を込めて奏でてきた。

音楽が、ものすごい速さで消費される時代に生きている。いっときその楽しさにハマっても 、快楽は一過性の感覚だから、やがて忘れ去られてしまう。飽きがこない美しさこそが永遠性を獲得できるし、歴史的には今に残っている。美しさにこだわる気持ちを確かめ続けていたい。