8/8(土) 17:30 開演
JOINT CONCERT ’09 〜謳歌三舞会〜
めぐろパーシモンホール 大ホールにて
曲に出会う楽しみには、二つある。一つは、何度も聴き、または演奏したことのあるよく知っている馴染みの曲がどのように演奏されるのかという楽しみ。もう一つは、知らない曲に新たに出会うことができる楽しみである。
この夜のコンサートでも、私にとって新たな曲との出会いがあった。京都大学男声合唱団によって演奏された無伴奏男声合唱組曲「今でも・・ローセキは魔法の杖」と三合唱団合同で演奏された男声合唱とピアノのための「くちびるに歌を」の二曲である。
コンサートは大学合唱団のジョイントコンサートでは、「お決まり」の「エール交換」から始まるのだが、大学の学歌、または学生歌には佳曲が実に多い。京都大学学歌もその一つで、下総院一(いんの字は白ヘン)先生による香り立つような旋律に多田武彦が編曲を施したものが演奏されたのだが、京の雅さえ漂う感のある名曲である。
この主旋律を京都大学男声合唱団のテナーが明るい声質で美しく歌い上げてくれた。否が応でも第二ステージで展開される無伴奏男声合唱組曲「今でも・・ローセキは魔法の杖」への期待感が高まるというものである。
合唱という表現は、本来声が違う各個人が音を揃えて歌うことにより、ハーモニーを創り出す音楽である。音を揃えるというと、誰しもまず思い浮かぶのが音高(ピッチ)を合わせることなのだが、それは結果であって方法ではないのである。音高を揃えることができる発声技術を共有化できてこそ、初めて結果としてのピッチが揃ってくるのである。
この日の京都大学男声合唱団は、母音の響きが実によく揃っていた。組曲の中で、「A」の母音でヴォカリーズを奏でる箇所が何度も出てくるのだが、音の重なりが倍音を生じながらホールいっぱいに広がっていく瞬間がとても心地よい。
詩にちりばめられた眩い言葉の輝きに比べると、作曲者の用いる語法がありがちな和声法である。しかし、その原曲から学生指揮者は、起伏豊かな表現を引き出すことに成功している。
?曲目 四度の重なりで「ラララ」とベース系が歌い始めると、聴き手の不意をつくかのようにテナー系が「WA〜」と覆い被さってくる。その中で何度も練習を重ねなければ、絶対に揃わないであろう旋律をバリトンが実に軽快に歌いきっていた。拍手!
?曲目の1番、2番と詩そのものがSONGで書かれている歌も、やさしい曲想がステージから流れ出てくる様が気持ちがよい。