オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

ヒット曲時代の終焉 2

 最近のヒット曲よりも、よく知っている昔なつかしい曲を聴きたい・・・という要望は、随分昔からあった。大晦日に、12チャンネル(関東では)で放映している「なつかしのメロディー」などは、その代表格であろう。東海林太郎淡谷のり子渡辺はま子霧島昇ディック・ミネ・・等々、往年の名歌手が勢揃いし、懐かしい曲と衰えぬ声を聴かせてくれていた番組だ。(昨今では、さすがに出場歌手の顔ぶれが変わってきているらしいが)

 裏側の気持ちとしては、最近の若い歌手の歌なんて、別に「聴きたくない」という心理が、当然働いているし、「なつかしのメロディー」を見ている御仁の多くは、日常放映されているいわゆる「歌番組」とかは、見ないのであろう。

 歌手や曲作りに携わるプロデューサーにとって、全世代から愛唱される曲を作り、歌うことは「夢」になり得ると思うのだが、これがとても至難の業であるらしい。
 言うまでもなく、戦前の藤山一郎、戦後の美空ひばりは、全世代から支持を受けた大歌手であったが、以降となると守備範囲が狭くなってしまう。個人的には、「三波春夫」や「坂本九」あたりを大歌手の系譜に加えたいのだが。
 う〜んと中年世代に下りてくれば、サザンの桑田?

 いつ頃からだろう?年輩の音楽ファンが、ヒット曲に耳を傾けなくなったのは??

 ビートルズが来日し、グループサウンズがそれなりの和製ポップスを奏でていた頃から、一部の頑固親父達は、主にその風体と過激な音響?に対して露骨な嫌悪感を示していた。「髪の毛が少し長い」ことが、紅白に出場できない理由になり得たのである。だからあれだけヒットを量産したタイガースやスパイダーズに代わって、紅白の舞台に立っていたのは、ブルー・コメッツであるという妙な事態が起きていたのである。(ブルコメの「ブルー・シャトウ」は、たしかに名曲だが、その他にも次の時代を切り拓く可能性を秘めたヒット曲が、当時たくさん作られていたのに・・)

 一つ目の、結論。ロックに共感できたか、できないか、これがまずヒット曲を聴くか、聴かないかの分岐点になった。

 グループサウンズ以降(ビートルズ以降と言い換えてもいいが)若者の音楽を聴こうとしない世代がレコードを購入する層から分離してしまったのだ。

 ただ、お一人例外的な人気を誇り、現在に至るまで精力的に活動を続け、人気を保ち続けている大歌手がいる。シンガーソングライターの草分けで、映画の大スターでもある加山雄三その人である。ロックに眉をひそめている大人(例えば頑固親父の一例として、筆者の父)も加山雄三の曲は、聴いていた。「君といつまでも」を始めとする多くのヒット曲が、彼の手で作られ歌われたが、その大ヒットの理由の一つに「おぼえやすさ、歌いやすさ」が挙げられそうである。次回は、歌への親しみという点について、書いてみよう。