アインザッツがはっきりしない。とりわけトスカニーニとの比較において、
ヴィルを評する際に、言われ続けていた課題である。しかし、その結果論とし
て、引き起こされる「音の立ち上がり」のずれが、微妙な音の「波濤」を造形
しているのも、ヴィルの演奏の特徴であった。
そして、この日も見事にずれつつ、「運命の動機」が奏でられた。しかし、
その後演奏を構築していく力は、ヴィルのまさに独壇場であった。指揮者とと
もに心が大きく揺れ動き、指揮者とともに泣き、指揮者とともに、喜びを共有
できる。そんな音楽家は、半世紀を経た今日でもヴィルに比肩できる指揮者は
現れていない。
四楽章の運命を克服した凱歌ともいえる音楽の最後のカデンツが、鳴りやん
だ時、いつ果てるともしれない喝采が、指揮者とオーケストラを包み込み、聴
衆は、一向にその場を立ち去ろうとしなかったという。
演奏への期待、音楽への熱中、そして満足。それらが悲しい歴史と戦争を乗
り越えて、ベルリンの人に与えた勇気は計り知れない。この日奇蹟ともいえる
演奏が、間違いなくそこにあったのである。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベートーヴェン作曲 交響曲第5番 ハ短調 作品67