オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

[重松清「星をつくった男」を読む

重松清「星をつくった男」を読む


童謡の会という主に年配の方々に親しまれている集会がある。文部省唱歌や童謡を唱和しながら、日本の叙情歌の美しさを堪能できるところが、多くの方々から共感を得ているのだろう。 

しかし、大人数で歌うことを前提に創作されている校歌や合唱曲はさておき、流行歌の世界では、多くの場合、親しまれたヒット曲を個人単位でカラオケでカヴァーして楽しんでいる。一人ひとりが歌から感じ取った情感なりメッセージを、自分なりに消化して放出しているのだ。この歌が個々人あるいは大きくひっくるめた言い方での大衆に対して、何かを発信するという傾向は、いったいいつごろから始まったのだろうか?その時代と本書の主人公である阿久悠の大活躍とは、かなり時代が重なっているように感じる。

阿久悠。昭和音楽史に燦然と輝く巨大な名前である。中でも1970年代に阿久悠の歌を聴かないで過ごした方は、極めて少ないだろう。歌謡曲とか流行歌とか呼ばれる歌が一世を風靡することができた時代の最後の超大物なのである。本書を一読すると、少年時代に結核を患った体験が投影している詞の光と影。広告代理店勤務、放送作家時代に培われた大衆の深層心理を突く卓越した企画力。作曲家とのコンビでどのような表現の可能性を広げようとしたか?等が見えてくる。

たとえば、都倉俊一とのコンビでは、山本リンダの「どうにもとまらない」路線が、ピンクレディーに受け継がれている。「常識ってやつと オサラバした時に 自由という名の 切符が手に入る」というCMソングに始まる小林亜星とのコンビでは、「ピンポンパン体操」などそれこそ常識やぶりの自由な世界を遊泳している。

阿久悠について語るということは、もちろん昭和について語ることだが、時代の端境期について本書では、二つふれられている。一つは70安保闘争や学園紛争に燃えたエネルギーの喪失感で、この時代にどのような詞が人々にヒットするか?言及されている。もう一つは、若者たちがウォークマンで音楽を聴き始めた時で、街にヒット曲が流れなくなった現象と重ねて論じられている。その傾向は未だに続き、人々が世代を超えて音楽を共有するのは、主に映画やドラマ、アニメのテーマソングやCMからである。

作者重松清氏は、家族の有り様について、多くの作品を残されている。その重松氏が、阿久悠の生き方に何を見つけたのか?私には、本書からあぶり出しのように「強がりで不器用な父親像」が浮かび上がってくるように思える。無自覚のうちにそのようなスタイルに陥っている親父たち。その背景からはやはり彼らが育った時代が見えてくるのだ。本書が優れた時代論になっている所以でもある。







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