オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

青木理「日本会議の正体」を読む。

この本を読んでいた12月28日、ハワイ真珠湾を安倍首相が訪問した。そこで述べた言葉に「和解」と言う言葉はあっても「謝罪」はなかった。宣戦布告がない日本海軍による一方的な攻撃だったのに。「謝罪」を口にすることができない環境が国内に立ち込めているのは、まぎれもない話だろう。本書で取り上げている「日本会議」もその環境・空気を醸成するのに、大いに一役買っている団体だ。
私の当ブログでの書きぶりもそうだが、著者青木氏の書きっぷりも、読者が保守というよりはリベラルであること、右派であるより左派に近いことを前提に書いているようなところがある。これは少し危ない。なぜなら、本書で摘出している問題点がリアリティーを以て、危険!と感じる感性が育っていないか、もしくはだいぶ昔に磨耗している日本人が多いからである。そもそも右翼とか左翼についてさえ、説明が必要な時代なのだ。
伝統文化を守る。国を愛する。天皇を敬愛する。自衛のための武力を保持する。同盟国が危なかったら、武力を行使して助ける。それらのことの「どこがいけないことなのか」「具合が悪いことなのか」すでにわからない大人が多くなっているし、積極的に説明できる人も影を潜めている気がする。だから憲法改正と聞いても「今の現実と合わないなら、別にいいんじゃないの」となってしまう。
むしろ、そんなことより「仕事をください」「普通に生活できる給料ください」が、目先の問題点としてすり替わってしまっている。「なぜ、貧富の格差が拡大する一方なのか?」「本当に世界が平和で豊かになるためには、どのような道筋が必要なのか?」を、考え続けると、今の憲法がどういう社会の実現を目指してきたか?前文を読み返さなくてもわかってくると思う。そして、それは戦前犯した過ちの原因が何であったのか?をもう一度私たちに考えさせるきっかけを与えてくれているはずなのですが。