ギリギリの内角高めを160km超えの速球で勝負してくるピッチャーがいたら、やはり少しは怖いだろう。芥川賞作家の迫力を、そのように例えたらおかしいだろうか?また、直木賞作家を外角低めに逃げていくスライダーで三振を取りにくるピッチャーにと例えては失礼だろうか?
主人公は、漫才師。作者の本業と同じだ。作品で描かれる師匠や主人公は、かなり危なっかしい、アブノーマルと呼ばれかねない境界線上に生き方を探している。バッターにぶつけてしまうかもしれないピッチャーのギリギリ感と師匠神谷の求める世界は近い気がする。そして主人公の徳永は、求道者とも言える神谷の生き方と受け入れられなければ意味がない至極真っ当な生き方の間で葛藤し続けている。
冒頭熱海市の花火大会の漫才ネタに、飼われているインコに「悔しくないんか?」と言われるネタが出てくる。作品の展開を予感させる暗示的なセリフだ。そしてその夜に主人公は、師と仰ぐ神谷と出会う。漫才を題材にした小説には、ビートたけしの自伝的な回顧録?である「漫才病棟」が聳え立っている。おそらく作者又吉直樹氏は、それを承知で「火花」を書いたと思われるが、ネタの創作者の内面にスポットを当てている点で、ビートたけしが敢えて描かなかった部分を小説化することに成功している。
大袈裟に言えば、当書は、プロアマにこだわらず表現者を志す人々に何らかの刺激をもたらすだろう。自分の立ち位置を確かめてみる上で。