オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

沈黙、間の意味と価値 試論2

今回は、超有名な「三三七拍子」を例にとってみます。三三七拍子は、西洋的な拍子では、4拍子が4小節分でそこに四分音符が、3・休符・3・休符・7・休符の順で並んでいる。この7で終わるリズムは、三本締めでも使われ、タタタン・タタタン・タタタンタンと4拍子2小節分7拍目で終わる。
手を打っていない、太鼓を叩いていない時は、西洋音楽的には休符なのですが、ここでイヨッ!とかハッ!とかドッコイショなどの合いの手が入る。これは一体何だろうか?語源を辿れば、合いの手の合いとは、間のこと。手は三味線などの楽器演奏が入ること。ドッコイショは、柳田國男の説によれば、どこへ?が変化したらしい。
作曲家で合唱指揮者の富澤先生から以前伺ったところによれば、拍の感じ方が、西洋と日本では違っていて、日本の拍子は、手を合わせくっつけて、離すという停止と横方向の等速運動であるのに対して、西洋の拍子は、打点が拍を表すように下降運動と上昇運動という加速が伴う運動の繰り返しなのだ。
だから、三三七拍子の休みは、休符というより裏拍と捉えた方がわかりやすく、その裏拍に合いの手を入れて楽しんでいるのでしょう。きっと。