オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

頑張れ!と言われても…1

頑張れ!をシャワーのように浴びてしまう場所と連射し続ける人

頑張れ!と言い続けることで、ポテンシャルが引き出せると思い込んでいる人々が棲息している場所がある。とりわけ学校、塾、スポーツ系の教室に多く存在し、連射し続けている気がする。頑張れ!と言われたくらいで、力が発揮できるくらいなら、何の苦労もいらないと思うのですが…。
むしろ頑張れ!と言われたことで追い込まれてしまう人(とりわけ子ども)がいることに目を向けてほしい。本人自身がやりたいこととか適性とかを配慮しないで、必要以上に負荷をかける。本当に頑張るべきことは何なのか?何を通して達成感を得られるのか?は、他人から与えられるより、本人自身が一生かけて探し続けていくものだと思う。
教育をエデュケーションの訳とするなら、元々の意味は「引き出す」ことにあるでしょう。やる気にさせる。やってみようかなぁという気になれば、あとしばらくは大丈夫なわけで、そのために「頑張れ!」という魔法の言葉がいつも有効とは、限らない。

かつて昭和30年代後半からの高度経済成長期に、まだいい学校→いい会社→いい生活が信仰されていた時代に、「頑張れ!」「勉強しろ!」と叱咤激励されて、詰め込み主義教育を受けた人は多いと思う。頑張りさえすれば世の中何とか渡っていけるのだろうか?結果「24時間働けますか?」などと本気で頑張ってしまい、現在の働き方改革にツケが回っているのは、ご承知の通り。確かにモーレツに働き、経済的にある程度豊かな社会が実現したと思う。でもそれをいつまで続けなければならないのか?