一つの統一国家ができてきたということは、それぞれの豪族がそれぞれの地方でそれぞれのやり方でふんぞり返っているのは、甚だ具合が悪い。そこで日本に中央集権国家の体裁を整えようと奮闘努力した人々がいる。天智天皇、天武天皇から奈良朝の人々である。制度としては、中国の律令制度をかなりコピーした。今もそうだが、トップダウンで決められたルールと実態がミスマッチを引き起こすことはよくある話で、律令制の根幹を成している土地所有に関する決まりは、やがて荘園制となり変質してしまう。しかし、律令制を基盤とする貴族政治は源頼朝登場の12世紀末まで400年の間保ったわけだから、まあよく続きました。