オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

どんづまりの国の文化論6

サンデーモーニング姜尚中先生が、教育勅語の思想背景は儒教だとおっしゃっていた。そして今話題になっている中国を批判している幼稚園が、教育勅語を暗唱させている事実が滑稽であると。

明治23年天皇からのお言葉として、発表された教育勅語。西洋に追いつき追い越せが至上命題であった明治前期にあって、天皇が「我が国が元々大切にしてきたはずの価値観を、もう一度思い起こしてみなさい。」と訓を垂れているようにも感じられる。
夫婦、兄弟、友人への愛を説き、自己の研鑽に励めと書かれている部分の内容は、今読み返してみても反論の余地はない。ひっかかるのは、最後の方で国家危急の際に奉仕せよと書かれている部分。この部分が拡大され、戦時中の軍事教育に利用されたのは、疑いのないところだ。

聖徳太子の「和をもって尊しとなす」もそうだが、なぜその立場の人をして、その言葉を言わしめたのか?その背景を学ぶべきだと思う。飛鳥・奈良の朝廷が仏教の力を政治に利用したように、明治政府は国家神道を巧みに利用した。思想を一つに束ねる、あるいは揃えてしまうことが都合がいい人々によって。

アメリカ大統領のように、国の分裂を煽ることで自分の支持を得るという極めて特異な例は別として、「まあまあ、そこは一つ・・・」とか言って、うまく言いくるめてしまう資質能力が政治力だと勘違いしてきた国民。
今回の教育勅語と幼稚園教育に感じた違和感は、教育の怖さと何でも一つにまとまればいいってものじゃないことについて、考え直すきっかけを与えてくれているのかもしれない。