オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび11

コロナウィルス騒ぎで、不安に陥る人々へ

今、宗教は心に平安をもたらすのか?

宗教とは本来弱い存在であることを自覚した人間の安全装置であったはずだ。反対側に神は死んだ!のニーチェ的な発想があるけど。

 

ともかく平安を願い、人々は祈り続けてきた。

日本の神様が、元々は巨大な山や岩や樹木であったりするのは、自然へのおそれだろう。所詮自然の前では人間の力などたかが知れていることをよくわかっていた人々が、この災害が頻発する島に住み続けて来た私たちのご先祖様なのだ。

やがて仏教がやってくる。元々のシャカの教えは悟りを開くためのものだから、人民救済の宗教ではなかったはずだが、人々が死への不安に怯えていた時代、阿弥陀仏を拝むことで人々を救う宗教に変貌した。浄土信仰である。もちろん人としての生き方を問い続ける仏教も現代まで続いているけど。

キリスト教では、ミサの最後がAgnusDeiで、私たちに平安を与えてくださいと神に祈って終わる。コロナウィルスの収束を願って、先日ローマ教皇が祈っているニュースを見た。

祈り願うことで、心の平安とやらが得られるのか?現代人は極めて懐疑的になっていると思う。そんなことより新薬やワクチンの開発が先だろうと。私たちの生命維持、健康を考えたら、その通りかもしれない。

しかし、おそれや祈りを忘れたからこそ、私たちが踏み越えてはいけない一線を跨いだという面はないのか?自然崇拝でも阿弥陀仏でも神様でも、私たちの暴走を戒める存在が、何もなくなっても大丈夫なのか?人類はそこまでは賢く強い存在にはなってない気がする。