タケさんの日本近代音楽史2
○賛美歌から唱歌・童謡へ
〜日本の愛唱歌の歴史を辿る(洋楽編)〜
フェントンと初代君が代
いわゆる国歌法に「日本の国歌は君が代とする。」とある。当たり前と感じる人が多いだろうが、この法律が制定されるまでは君が代についていろいろな議論があった。この前のラグビーワールドカップで日産スタジアムで70,000人近い観客の君が代斉唱を聴いた。男性客が多いせいもあるだろうけど、地鳴りのようなすごい響きだった。あんな君が代を聴いたのは初めてだった。
現在の君が代は、宮内庁雅楽部の林広守作曲で、実は二代目です。当時雅楽部のリーダー的存在であった林広守が雅楽と西洋音楽との融合という課題に応えた曲です。
初代の作曲者は、日本最初の吹奏楽部=薩摩バンドの指導者フェントンでした。当時薩摩バンドが駐留していた横浜市中区妙香寺には、さざれ石が置かれ国歌君が代発祥の地の碑が建っています。
さてフェントンの曲ですが、歌詞は同じ。問題にされたのはメロディーで、ハーモニーは付いていてどことなく賛美歌的です。日本語のイントネーションが音の流れとあまり合っていない箇所があり、明治の初めにしか使われなかったようです。
この日本語の特徴と西洋音階のマッチングという大問題には、山田耕筰を始めたくさんの作曲家が取り組んでいきます。