タケさんの日本近代音楽史8
○賛美歌から唱歌・童謡へ
〜日本の愛唱歌の歴史を辿る(洋楽編)〜
〜日本の音楽と西洋音楽の狭間で葛藤し続けた人々〜
以前伊沢修二について次のように書きました。「明治のはじめ、日本の音楽教育については、西洋音楽を日本に移植してそれのみを教育する、日本固有の音楽を育成発展させる、西洋音楽と東洋音楽の折衷、の3つの意見がありました。伊沢は、折衷案をとり、その実現のための準備事業として、東西の音楽を折衷した新曲の作曲、将来の国楽(国民音楽)を興すべき人物を育成するための教育、諸学校に音楽を実施し、その適否を確かめるための実験の3つを挙げます。」
では上記の内、日本固有の音楽については、どのような取り組みがあったのでしょうか?日本の歌の旋律は、ほとんどが口伝によって伝えられたものです。(声明の世界に博士という譜がありますが)
藤井清水、町田嘉章のお二人は民謡の採譜作業に尽力された方です。楽譜に残すことによって、口伝でマンツーマンで教えられていた歌が、多くの人に共有できるようになったのです。