タケさんの日本近代音楽史5
○賛美歌から唱歌・童謡へ
〜日本の愛唱歌の歴史を辿る(洋楽編)〜
赤い鳥から始まった童謡運動
「唱歌、校門を出ず」という言葉があります。先生の教え方にもよりますが、教科書の曲よりもテレビから聴こえてくる主題歌や流行歌の方が楽しい。ましてや戦前の唱歌は教訓的道徳的だったので窮屈でした。
そこで自由教育が叫ばれていた大正時代に鈴木三重吉を中心として、唱歌とは別に子どものための歌を作ろうというのが、「赤い鳥」の童謡運動です。ですから本来は唱歌=童謡ではありません。大きな違いは「赤い鳥」の童謡は、子ども目線、子どもの言葉で詩が書かれている点です。詩人として西條八十や北原白秋らが多くの童謡を残しました。。
西條八十の「かなりあ」冒頭部分です。
唄をわすれたかなりあは 後ろの山に捨てましょか
いえいえ それはなりませぬ
かなりあを山に捨てようという内容の歌は、当時の学校で教えられていた唱歌の対極にあり、子どもたちの間で大いに歌われたようです。
小鳩くるみさんの歌で聴きましょう。