時間がかかること
時間がかかれば、それだけ無駄になる。いつから人はそんな間違った想念に囚われるようになったのだろう。速く終えることができれば、その分他のことができる。それはきっと合っている。けれどもそれは本当に速く終えてよかったことなのか。
私は合唱を続けてきた。これは形になるまで、かなり時間がかかってしまう表現で、同じくクラシック系の音楽でオーケストラが年に数回の演奏会ができるのに、合唱はアマチュアの場合には、年に一度できれば、御の字である。
しかし、この時間がかかってしまうところに、価値がある。粗製乱造を許してはならないのだ。
似たようなことが、小学校の算数の授業で言われることがある。は・か・せ。速く、簡単に、正確に。いかにも合理的な事を言っているようで、これでは新しいやり方や発想が育つ余地は狭い。
必要とする時間を決めるのは、表現者自身で、どの程度納得できた物になっているか?を知っているのも創作者本人なのだ。だからこそダ・ヴィンチがモナリザを持ち歩いていたのだ。
何にどれだけの時間をかけるのか?冷静になって考えられる人でいたい。