オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび166

幸を生きる4

もう騙されないはず?

 

適度に臆病になり、権威的な主張を疑ってかかる態度は、大事だと思う。戦後民主教育の出発点は「もう騙されない」だったはず。

まさか自分がその職に就いてしまうなどとは、微塵も考えていなかった少年期、私は先生にそれほど従順な生徒ではなかったと思う。最も身近にある権威は、親を除けば教師だったのだ。続いてあれこれもっともらしい主張を大書したタテカンが並んでいた大学キャンパス。一般受けして、わかりやすい主張を展開しているセクト・グループほど私は警戒した。観念論などと言われたが、唯物史観だって観念の産物じゃないか?と当時は思っていた。

就職して、何と教員になり!いわゆる職員室の住民になったのだが、二つの権威があった。一つは言うまでもなく管理職であり、もう一つは組合である。なかなか扱いにくい若手だったと思える私は、入りたての癖に職員会議では言いたい放題だった。組合は何度も分会長を経験したけれど、いわゆる本部の役員になりたいとは思わなかった。本部から出される指示文書を読み、何だか強張った正義論が組合を覆っている気がしていた。

就職して10年ほどして、左翼イデオロギーの総本山ソ連が崩壊した。時代の流れを被るように、社会党はやがて社民党と名前を変えて、随分変わってしまった。そして思潮的にはポストモダンと言われ、ぼく的には「何でもあり」の時代に変わった。だから不条理な教育現場の権威に対して、90年代は、当時者として、それなりに自己批判も含めて悩んだつもりです。

21世紀になり、インターネットが世界と繋がり、情報の時代になった。判断の主体は、あくまでも個人。それまでとは比較にならない情報量の中から、自分自身で何を選択して何を考えるか?が試されている。しかし、信用がおけない情報に振り回されたり、情報に傷つく人がいたり、多くの問題がある。

元の立ち位置に戻ろう!「もう騙されない」に。政治も経済もその虚像の背景を見抜いて「誰が誰をどのように騙そうているのか?」に敏感でいたい。オレオレ詐欺は、その困った具体例だが、もっと規模の大きな詐欺が進行しているかもしれないのだから。