オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび335

なぜ? どうして? を面倒くさく感じて、気持ちいいこと・おもしろいことに流れる日本文化2

 


寺子屋では、その子がおそらく将来必要とするであろう知識を個別に教育していた。子どもたちも「君の将来にとって、これを覚えておいた方がいいよ」と言われれば、何となく受け身ではあってもテキストに向かい合ったのだろう。

ところが明治の始めに、国が学校を全国に作り始め、日本中で同じような内容が全ての子どもに教えられるようになってしまった。富国強兵・殖産興業の時代だから、国民の平均的な知識技能を向上させようとしたのだろう。この方策の有効性は戦後高度経済成長がバブル崩壊で破綻するまで続いた。

教える内容は、西欧の受け売りだったから、元にあるのは西洋の科学だった。ある程度基礎を身につけた先には「なぜ? どうして?」を問うことが必要だったはずだが、ところがこれは日本人があまり得意じゃなかった分野なのだ。だから基礎研究を疎かにして、応用ばかりと言われても、元々が美味しいところどりが本領の日本文化なのだから、仕方がないんじゃないかな?