オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび347

島田裕巳神道はなぜ教えがないのか」3

 


「神は神社に赴いて願いを捧げる人々の思いを受け止めてくれる。でも神のすることはただそれだけで積極的に救ってくれるわけではない。神は救いの手をさしのべてはくれない。」これでは何だか物足りない感じもするが、筆者は「救いを求める」行為の対極である「無心の境地」に私たちを誘ってくれるのではないか? と言う。

二礼二拍手一礼の間のどこで願いを伝えればいいのか? 長い間よくわからなかったのですが、神様の前に来ただけで、そんな願いの類いはとうの昔にお見通しなのかもしれない。あれこれの思いや悩みを言葉に変換して、数秒間のお祈りで何とかしてくださいね! と思うこと自体、浅はかなのかもしれないな。

筆者が述べているように、神社神道には開祖も教義も「何もない」。何だこの人知っている! と、歴史の教科書に出てくる実際にいた人が神様だったりする。神道には教典がないから戒律もない。僧のように厳しい修行もない。お寺みたいに仏像とか文化財的なものは安置されていないから、拝観料も取らない。

そんな日本の神様は、庶民のくせして不遜ではあるが「ちょっとお願いしますよ」感覚のお祈りの対象なのだ。バカボンのパパではないが、きっと「これでいいのだ」