オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび435

北野武「新しい道徳」を読む2

 


話題は、インターネットによる世界支配、清く貧しく美しくに戻れない人々、和を持って尊しとなす、モーゼの十戒へとジャンプを繰り返していく。そして、過酷な氷河期の環境を集団として生き残るために道徳の卵のようなものが生まれたという考えは理解できる。けれど飽食の現代社会でそれは当てはまらない。今後の気候変動で似たような状況になるかもしれないけれど。宗教・国際関係など、その時代の状況によって道徳は変化してきた。そりゃそうだ、元々道徳は生き抜くための知恵なのだから。戦時中鬼畜米英などと罵っていた国との戦後の関係を振り返れば、すぐにわかる。

本書は、結局押しつけられた道徳より自分自身の道徳を身につけ作ろうという論旨なのだが、唯一「傷つきたいと思っている人はいない。自分が傷つけれたくなければ他人を傷つけない」くらいは全員に教えてもいいだろうと書いている。また別のところで、学校の道徳教材は、自分の道徳を作るための手本にはなるだろうとも言っている。つまりたたき台・踏み台というわけなのかな?

人生の目的などを考えるより、自分が生涯を通して夢中になれること・趣味を見つけることの方が大切だという。どのみちAI時代の到来で仕事に生きがいを見出すことは、とても困難になりそうなのだから、自分の心が乾かないための水が必要だと私も思います。

最後に、その場で本音で話すまたは叱るのが、本当のことを不都合なことを隠さないで子どもたちに話すことが、大切な道徳教育と、締めくくっています。道徳は決してきれいごとでも、その場を取り繕うことでもない。矛盾や葛藤や先送りなど、あらゆる大人の真実を子どもの前にさらけ出し、彼らに考えるスタート地点を設定することだと。戦後しばらくの間、道徳や特別活動という学習領域が社会科に含まれていた事実と整合します。まぁ、現場の教員にその方針を十分に理解処理する力が足りなくて今の形になったことは、理念先行だった「ゆとり教育」と似ている気がしますが。