オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび593

村上和雄・.棚次正和「人は何のために祈るのか」

 


祈りは病気を癒し、心身の健康を保つ大きな力を秘めている。少しでもよりよく生きようとする遺伝子の働き、それが祈りであると筆者は言います。

祈り。宗教に近く科学から遠い行為だと多くの人は感じるでしょう。でも筆者は言います。「祈りの効果と宗教とは関係がない」と。つまりどの宗教であるかは関係ないと言うのです。また科学者アインシュタインの言葉を引用しています。「神秘的な感性こそが、人間が体験できるもっともうつくしく、もっとも深遠な感情だ。すべての真の科学の源はそこにある」

祈りにはふた通りあって、一つは「自分の思いを叶えてもらいたい祈り」、もう一つは「心を安定させるための祈り」。その効用を求めて人々は祈ります。日本は特定の宗教を信じる人が少ない(いわゆる無宗教者が多い)とされていますが、祈りは盛んに行われていて、国民の代表者としての天皇陛下が平安を祈ってくださっていると筆者は言及しています。

祈りの語源は「生宣り」。めげずにがんばって生きるぞ! という宣言が祈りなのだそうです。現代人を祈りから遠ざけている原因の一つとして「日々の感謝を祈っているか?」問いかけています。私の家には祈りの場として仏壇があり、毎朝毎夕合掌しているのですが、夕方は本日の感謝を祈っています。ボクの場合、そんな大げさなものではありません。本日も元気でいられたこと、食事を取れたこと、家族と過ごせたこと、特別に成し遂げたいことがあった日はその結果への感謝などです。日々感謝することで、とかく傲慢不遜に陥りがちな自分の気持ちが軌道修正されるように感じています。

顕在意識の自我よりも深い潜在意識=超自我の部分で人は祈っている。他人のため、他人の幸せを祈る行為は、自分に戻ってくる。話がわかるようなわからないような世界に入っていますが、ボクは教員の経験の中で子どものために祈ったことがあります。宗教的なニュアンスでなく「その子らしく健康に」程度の内容ですが、子どもたちを取り巻く状況が困難を極める現在、教員に限らず子どもと関わるすべての人が同じように祈ることが、大切な気がしてきました。

筆者お二人は遺伝子の研究者で、祈りという行為が遺伝子をオンにする仮説を検証している。遺伝子はもとより科学の方法や知識に乏しかった時代から、ずっと人類は祈り続け、生き延びてきた。祈りを非科学的と見下ろし蔑む立ち位置からは、新たな未来は拓けないのかもしれない。

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