オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび601

隈研吾「なぜぼくが新国立競技場をつくるのか」を読む


隈さんは、ボクより二歳年上で東京オリンピックを二回経験している。だから丹下健三さんの設計による代々木の第一第二体育館のデザインから強い衝撃を受けた世代なのだ。

新国立競技場を始めとして、隈さんが手がけた建築物には木材がたくさん使われている。隈さんは木の面白さはどこでも手に入る小さくて安い材料をベースにしてどんなものでも作ってしまう「平凡さ」「民主性」にこそあると言う。対極にあるコンクリートは、どんな巨大なものでも自由に作れる「偉大なる特注」で限界をわきまえない無知が宿ってしまうと述べます。

コロンビア大学留学時代、徹底的なディベートで鍛えるロジックでは「勝てない」と感じた隈さんは、ティーセレモニーを催します。そこでし〜んとなった空気から、日本の思考の強さは「空間と行為と言語」の一体化にあると実感したそうです。ロジックを超えるのはリアリティにあると。

この辺りで我田引水的に音楽の話。木は材料になってからも呼吸し、周囲の環境にデリケートに反応する。琵琶は本体が桑で絃が絹糸。演奏空間の中でも自在に呼吸し、未熟な演奏者=ボクを試そうとしてくれる。しかし思えば、西洋楽器は外枠こそ木枠であっても実際に発音しているのは、針金をハンマーで叩いたり、擦ったりしているので、金属特有のキーンという響きがボクはどうしても気になってしまう。絹糸を張って叩くことで発音する琵琶の音色は捨て難いのですがねぇ。

最後に茂木健一郎さんとの対談の中で、いわゆるグローバル化以降、短期的な利益を求めて建築が設計される。長期的に建築物がその地域・環境にどう馴染んでいくかが、二の次になってしまう。日本人は法隆寺という木造建築物を1400年維持し眺め続けているのだけど、長いスパンによる見通しが必要なのは、きっと建築文化にに限らないでしょう。

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