オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび599

立川志の輔玄侑宗久「風流らくご問答」を読む

 

落語と琵琶は昔寄席に掛かっていた芸能として共通点があります。一席がおよそ15分であること。この15分がビミョーでして、長すぎてひたすら我慢を強いられる時間になるか? 耐えられずに席を立ってしまうか?  あっという間に過ぎ去るか? それが芸の質なのでしょう。

お坊さんが講話の中に、笑いを巧みに取り入れているエピソードが出てくる。中身が退屈ならせめてどこかに笑いを誘う場面がないと聞き手は寝てしまうだけだろう。

我が身に引き寄せて考えてみれば、琵琶はもとよりコーラスの練習にも当てはまるような気がしますね。

「あくび指南」に話題が及ぶ。対談の片割れ宗久さんには「禅的生活」という著書があり、その中であくびについて触れていると言う。何でも人からものを教わりたがる。日本人のお稽古好き、習い事好きを茶化している噺ですが、志の輔さんは「人生は死ぬまでの暇つぶし」と言って、背景にある豊かさに言及しています。

あくびと言えば、当ブログ「オヤジのあくび」はコロナ禍突入の2020年3月にスタートしたのですが、大作曲家團伊玖磨さんの「パイプのけむり」の語感を真似てタイトルを付けてみました。あくびの覚醒作用だとか、つべこべ抜きにして退屈したら指南されなくても、ほら「あくび」。コロナ突入で当時本業の学校がストップしてしまい、都知事の「東京には来ないで」発言でイヤになってしまっていた頃の話なのです。

ちょっとした自分の心の揺らぎが「風流」で、元は禅の言葉だと宗久さんはおっしゃる。「茶の湯」という噺は恥の文化を背景にした登場人物の知ったかぶりを揶揄しているのですが、今の世も人々は「わからないなら大体のところでいいので読んでおこう」とwikipediaを開きます。ボクの場合は、わからないことだらけなので、気持ちの赴くままに本に手を伸ばしてきました。次回「オヤジのあくび」が600回となりますが、いつも読んでくださっている皆様、ありがとうございます。

f:id:hoihoi1956:20231230060111j:image