谷川俊太郎「風穴をあける」を読む1
この後エッセイ集は、ワープロが世に出回り始めた1985年当時の文章から始まる。氏曰く「ワープロで詩を書くことは、ちょっと試みただけであきらめた。詩には散文にもまして意識下のうねりのようなものが必要だからだ。」 また別の箇所で「詩の場合には意識してさまざまな文体で書き分けることを試みているけれど、そういうやり方で散文を書くことは不可能だ。散文は書き分けることができない。散文はただひとりの自分という個にその根をおろしていて、書き分けようとすれば個は分裂してしまう。書いたものに生身の人間として責任を負わなければならないのが散文というものだろうと私は考えているが、その責任の負いようがなくなる、、だが詩はもっと無責任なものだ。それは基本的にアノニムであっていい。個よりもっと広く深い世界に詩は属している。」
引用ばかりで恐縮ですが「短歌、俳句などの定型伝統を選ぶ道を私はとりたくない。七五から離れることで私たちは詩の秩序をを失ったかもしれないが、同時に大きな混沌を得たのだ。その混沌のうちにひそむ可能性を私は信じている。・・・」
谷川俊太郎の膨大な量に及ぶ詩作を支えるスタンスが、垣間見えるような気がします。
よく知られているテレビアニメ主題歌「鉄腕アトム」の歌詞は谷川俊太郎さんによるものです。その谷川さんが童謡について語っています。「大人が子どもに歌ってほしい歌、おとなが子どもにおとな自身の子どものイメージを強制する歌、そしておとなが歌って自分の子ども時代を懐かしむことのできる歌・・大人は、子どもよりもはるかに嬉しそうに童謡を歌います。そのくせ童謡によって子どもを教育しようとします。」何か谷川さん自身の子ども時代の思い出が背景にありそうですが、現在童謡の会などと称した高齢者の集まりが開かれ、そこで童謡を楽しんでいらっしゃる姿を見るとよくわかります。