オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび288

ボクが学生だった頃の話1

 


私が通っていた大学は、昭和史上に名を記す「浅間山荘」事件に関わった学生が多いことで知られている。学生の傾向として、二期校コンプレックスというネーミングをいただいたのもこの頃で、共通一次がスタートするきっかけの一つとなっているらしい。ボク自身は東大を落ちたわけでなく、たまたまその大学に合格させてもらっただけなのだが、せっかく入ったのだから、キャンパスも保土ヶ谷に移ったばかりの綺麗な新校舎だったし、せいぜい楽しくやろう! 的な気持ちがグリークラブ入部につながっている。女の子と話すのが苦手だったことも理由の一つだけど。ちなみに女性恐怖症は今に続く。(これ本当)

ところで、案の定、ありとあらゆるセクトが揃っていて、革マル、中核、社青同第四インター労働党、民青・・まるで左派や過激派のデパートのような感じであった。実際社会科専攻というところにいたのだけど、いろいろな傾向をもつ友人が多数いた。卒業後数十年経って教授から聞いた話だが、社会科専攻に限っては、まるで高校のようにホームルーム的な時間を作って、過激な思想に走らないように懐柔? を図っていたらしい。

私は、その頃周囲から観念論者という烙印を押されており、一目置かれるというより、むしろ形而上学は見下されるような立ち位置であった。当時とあるセクトが講義前にオルグに入ってきた時に、わけのわからん屁理屈で追い返してしまい、クラスメイトから賞賛? されたことがあった。いわゆる唯物論に合点がいかなかったことだけは確かなのである。

でももう少しマルクスをしっかり読んでおくべきだったという後悔もある。

 

オヤジのあくび287

池上彰佐藤優「希望の資本論」を読む

 


どうしても政治運動としての社会主義共産主義が話題に上るのだけど、共産という言葉が、元々日本で作られた言葉であるとは驚いた! 中国共産党の党名は日本から輸出したものだったのですね。話は戦前日本の講座派による日本特殊論と労農派による世界システム論的な視点の対立が、その後どのように影を落としているのか? が語られる。戦後の思想史を彩る主だった学者の立ち位置が分類されていて面白い。ちなみに池上彰氏には労農派の匂いがすると佐藤氏は語っている。

その後、いわゆる過激派も含めて、どのように分裂分派したか? が語られるが、学生時代の記憶も脳裏をよぎったので別に語ろうと思う。

要するに、資本論ほど、真っ向から資本主義を分析し、その欠陥を指摘した本もないわけで、政治思想や国家観を一旦傍においても、資本主義とは何なのか? を理解するためにかじっておくべきと語られるわけです。そして相対的に自分の立ち位置がわかるとおっしゃる。なるほど。

最後にピケティ氏の再分配論は、マルクス資本論の聖地な読み込みに基づく主張ではないことが、巻末のインタビューでわかる。マルクスは生産とその利潤の分配について、それぞれ分けて論じていたのだ。

オヤジのあくび286

中野東禅「良寛」を読む

 


如今、険崖に手を放ちて看るに、ただこれ旧時の栄蔵子。

40年間の修行を振り返って、何のことはない子どもの頃の栄蔵のままじゃないか! という一文。肩書き、名誉、金銭は、本来の自己に何の役にも立たない。ごまかしようがない自己に安住しようという呼びかけ。

 


手毬を袖に忍ばせ、子らと遊ぶ良寛は、誰にでも心を開くような、庶民と気持ちが通い合う僧侶だ。けれども、その本質はやはり禅僧であり、矛盾するようではあるが世事の生活とは一線を画している。フランクな存在としての良寛と、どこまでも深い精神世界の奥底に佇む良寛とが、一人の人格の中で同居している。だからこそ人々にとって興味が尽きない存在なのだろう。

そんな良寛にとって、晩年貞心尼という和歌の弟子を得たことは、大きな喜びであったに違いない。そこに最も人間らしい良寛の姿が感じられる。それは恋であったかもしれない。きっと人の心は愛によって若返り蘇るのだろう。

ふと先日ご逝去された寂聴さんのことを思った。

オヤジのあくび285

鈴木大拙著 北川桃雄訳「禅と日本文化」を読む4

 


禅と俳句

はじめに加賀千代女の俳句「ほととぎす ほととぎすとて 明けにけり」が引用される。

俳句が直観的理解の反映であり、概念とか理屈とかではないことが、おなじみ芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」で示される。大拙は、この句を創出させている宇宙的無意識に言及する。

そして、散文とは全く対照的な17文字の世界こそが、他の人に元来ある直覚を呼び起こすと言う。

俳句に限らず、国語の授業には解釈が必要とされていて、本書でも名だたる名句に対する解釈が引用されている。けれど千代女の句にしても「釣鐘に とまりて眠る 胡蝶哉」蕪村の句にしても、分析的に状況場面を平易にわかりやすくするという方法を取らない。むしろ作者がどのような無意識のうちに句を詠じたか? に関心をいだく。それって本人でないとわからない、いや本人でさえはっきりとは説明できない類いのことかもしれない。俳句と禅は、そこで通じ合っているのでしょう。

オヤジのあくび284

鈴木大拙著 北川桃雄訳「禅と日本文化」を読む3

 

禅と儒教

禅は、インド仏教が元になっているとはいえ、中国を経由して、かつ中国で儒教と半ば一体がしながら、南宋の頃に日本に持ち込まれた。禅とは、一切の理屈や言葉を否定した境地なので、グチャグチャ言わせない儒教倫理と結合しやすかったのでしょう。

朱子学と言えば、江戸幕府身分制度維持、秩序維持のために、奨励したように理解されているが、本書では朱子自身が南宋に身を置き、情けない官僚の姿、国を北方民族に奪われる様を見て、己の名、位、分=役割、立場、責任を弁えよと諭したらしい。

 


禅と茶道 

茶道と言えば、千利休の名前が思い浮かぶのですが、利休以前の人々も茶の湯を楽しんでいる。お茶を日本に持ってきた栄西禅師、中国流の作法を教えた大応、一休の弟子で日本的な趣味として昇華した球光、その後にまとめ役として利休が登場する。一つの文化の熟成に多くの時間と人の関わりが必要なのは、どれも同じ。

和敬清寂。茶道の精神のキーワードとも言うべき、この四文字熟語に沿って、大拙は解説していく。とりわけ深入りしているのが、寂=さび、わびについて。この章に大拙自身が強く警鐘を鳴らす一節が出てくる。茶人のもてなしなど忙しい現代人には不可能ではないか? との問いに対して「悶える心には真に生を楽しむ余裕はなく、ただ刺激のために刺激を追って、内心の苦悶を一時的に窒息させておこうとするに過ぎない。主要な問題は生活はゆったりした教養的享受のためにあるのか、快楽と感覚的刺激を求めるためにあるのか、どちらだろうかという点である。この問題が決まった上で、必要ならばわれわれは現代生活の全機構を否定して新しく始めてもいい。われわれの目的は、終始、物質的欲望と慰安の奴隷となっていることではない」80数年前に出版された本書の言葉は、今その重みを倍加して響いてくる。覚悟というか、なぜ本書を著したのか? がここに集約されている気がする。

オヤジのあくび283

鈴木大拙著 北川桃雄訳「禅と日本文化」を読む2

 


禅と美術

初めに禅が美術に及ぼした影響として、侘び寂びが語られる。水墨画では南宋の画家馬遠による一角様式の影響など。非対称、釣り合いが取れない表現に理詰めの西洋美術とは違う世界があると語ります。わざと画面に何も描いていない広い空間が残してあることに禅の影響があるのだそうです。

 


禅と武士

続けて鎌倉武士。北条時頼時宗父子に始まる武士と禅の関わり。迷いを捨てて自分が心に決めたことへまっしぐらに進む生き方をサポートした禅。功罪半ばするけれど、その精神性は今もどこかで流れている気がします。

この章には、柳生但馬塚原卜伝武田信玄上杉謙信など名だたる武人と禅の関わりが語られますが、謙信の危険極まりない戦い方は決めたことへまっしぐら一直線精神が現れているように感じます。

章は刀が主題となり、活人剣と殺人剣。まさむねと村正のエピソードなどが語られる。思うに幕末の人斬り志士をはじめとし、歴史上剣を単に殺人

剣として用いた者の何と多いことか!

 


禅と剣道

流れるように話題は禅と剣道に移る。柳生但馬に沢庵和尚が説いた書諭が引用され、心を止めないことの大切さ=分別知の有害が説かれる。

無心の境地を詠った嵯峨天皇の歌

うつるともつきもおもはず

うつすとも水もおもはぬ 広沢の池

剣道の奥義「水月」とは、この月や水を眼前の相手やその心に置き換えて読むことで、少し理解に近づけるのだろうか?

オヤジのあくび282

鈴木大拙著 北川桃雄訳「禅と日本文化」を読む

 

禅のモットーは、言葉に頼らないところにあるという。ではこの読書感想文もどきのブログもどきは一体何を語ればいいのか? 元々原文が欧米人向けの講演で英語だから日本人の著書なのに訳者がいる。だからこそ執筆からかなりの歳月を経ても、すっかり欧米化した今の私たちにもわかりやすいのでしょう。

 


禅は、形式主義を否定して系統的な科学を遠ざける。そして規範的な道徳とは結びつかないと、大拙は語る。最終章では、禅=悟りと言う。私たちは何とまぁ遠いところへやって来てしまったのだろう! 私たちが日常息苦しさを感じる主な原因を80年以上前に言い当てているではありませんか!

しかし、禅は創造的で人間の内側から生じた芸術とは、親和性が高いという。だから本書では美術論から始まって、禅の影響を感じる様々な文化活動に筆を巡らせているのである。

続きは次回以降に。