ボクが学生だった頃の話1
私が通っていた大学は、昭和史上に名を記す「浅間山荘」事件に関わった学生が多いことで知られている。学生の傾向として、二期校コンプレックスというネーミングをいただいたのもこの頃で、共通一次がスタートするきっかけの一つとなっているらしい。ボク自身は東大を落ちたわけでなく、たまたまその大学に合格させてもらっただけなのだが、せっかく入ったのだから、キャンパスも保土ヶ谷に移ったばかりの綺麗な新校舎だったし、せいぜい楽しくやろう! 的な気持ちがグリークラブ入部につながっている。女の子と話すのが苦手だったことも理由の一つだけど。ちなみに女性恐怖症は今に続く。(これ本当)
ところで、案の定、ありとあらゆるセクトが揃っていて、革マル、中核、社青同、第四インター、労働党、民青・・まるで左派や過激派のデパートのような感じであった。実際社会科専攻というところにいたのだけど、いろいろな傾向をもつ友人が多数いた。卒業後数十年経って教授から聞いた話だが、社会科専攻に限っては、まるで高校のようにホームルーム的な時間を作って、過激な思想に走らないように懐柔? を図っていたらしい。
私は、その頃周囲から観念論者という烙印を押されており、一目置かれるというより、むしろ形而上学は見下されるような立ち位置であった。当時とあるセクトが講義前にオルグに入ってきた時に、わけのわからん屁理屈で追い返してしまい、クラスメイトから賞賛? されたことがあった。いわゆる唯物論に合点がいかなかったことだけは確かなのである。
でももう少しマルクスをしっかり読んでおくべきだったという後悔もある。