オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび488

紙屋高雪「どこまでやるか、町内会」を読む

 


自治会は、ゴミ、防犯防災、イベント、調査など、実に多くの活動を行政の下請け的に担っている。しかも無報酬。

本書の前半は、自治会・町内会の活動が「本当に法律の裏付けがある義務なのか?」を検証しています。すると厳密には義務などほとんどない事が明らかになるのです。また現在継続している活動=例えば見守のような互助や防災訓練が実際の災害時にどう機能したのか? 町内会として役立った実例が少ないことを語ります。

また、なぜ町内会で関わろうとしないのか? 子どもの貧困対策=子ども食堂や無料塾について、町内会が及び腰である実態を書いています。

ここまでを読めば、なんだよ、そんなにシャカリキになって頑張ることないじゃん! と読者は思うわけです。たしかにその通り。けれど筆者は、義務的にやらなくてはならないことはなくても、大切な意識があるという。それはお隣さん意識、共助ではなくて近助。

その後、行政の下請けではなく、しっかりとモノをいう。不合理な負担は避ける、新しいゆるやかな町内会像が語られていきます。具体的には2つの活動やイベントを一つにするおまとめ事業。

さらに町内会長の発言行動が住民の民意を代表していることを裏付けるシステム、不正の歯止めとなる会計の透明化、しっかりやればそれなりに負担になることを、筆者は手続きの簡素化という裏技? で切り抜けようと言います。総会は数年に一度で、普段の年は班長会議。会計は出納簿だけとして、いつでも公開できるようにする。

最後に行政からの「依頼」について書かれています。町内会が任意団体である以上、やれること、やりたいことだけをやればよい。無理な要請は断ればよい。なるほどなるほど。

オヤジのあくび487

白石仁章「戦争と諜報外交」を読む4

 


最終章は、杉原千畝。この素晴らしい外交官については、何千人ものユダヤ人を救ったエピソードを中心に据えて多くの書が出ている。

おえコラの練習は早稲田の東京コンサーツという会場を使うことがある。この辺りの建物を早稲田奉仕園と呼んでいて、若き日の苦学生杉原千畝はここで生活していたという。彼が外務省留学生試験に合格して学んだのはロシア語であった。

千畝がハルビン総領事館に勤務している時に、満州事変が起き、満州国外交部に転じる。ここで千畝は北満鉄道の買収という大仕事をやってのけた。ロシア革命を心よく思わない白系ロシア人が彼に協力した。そしてソ連側から申し出た価格の5分の1で買い取ることに成功したのだ。ところが満州国で日本人の中国人に対する振る舞いに我慢ができず、帰国してしまう。

フィンランド公使館を経由して、千畝はリトアニアカウナスに着任する。リトアニアには日本の領事館はなかったのだけど。満州の時の白系ロシア人同様、政治的に弱い立場の人々と協力関係を築き、徹底的に彼らを守るところが千畝の真骨頂であろう。

ヒトラーの対外政策に、戦前の日本はいいように振り回されてきたのだが、独ソ開戦直前に千畝は自身で車を運転し、危険極まりない国境付近の様子を見ている。そして日本の本省に独ソの開戦が近いことを打電したのだ。日本が欧州の戦禍に巻き込まれてはならないとの一心だったろう。けれど千畝の情報が活かされることはなかった。どれだけ有益な情報が送られてきても、結局は判断する組織や責任者次第なのだろう。

千畝の外交官としての卓越した情報収集力にそのスポットを当てている本書は、千畝の姿をより鮮明に描くことに成功していると思います。

オヤジのあくび486

白石仁章「戦争と諜報外交」を読む3

 


どういう場面に居合わせたか? 外交官としての運命や評価に大きく関わる。そして最終的な判断は、本国にいる外務大臣を始めとする政府の意向なのだ。ここに外交官としての葛藤があり、本意ではない行動を強いられることもあるだろう。三人目の来栖三郎もその一人であります。

本書には頻繁にインテリジェンスという言葉が現れる。これは知性ではなくて諜報の意味で使われているのです。諜報という言葉自体が何となく密かに策を巡らす的な意味に捉えられがちだけれど、これこそなくてはならない情報収集そのものということが本書を読むとよくわかる。

来栖はベルギー大使からドイツ大使へと転じており、悪しくもそれは日独伊三国同盟の締結に至る時期と重なっていた。三国同盟松岡洋右外務大臣による松岡外交の結果であるが、それは来栖のヨーロッパ情勢分析とは大きくズレていた。来栖はドイツによるヨーロッパ支配は不可能と予想していたのだ。

息子が来栖に対して言った言葉「外交とは、波打ち際にものを描くようなものである。」そうかもしれない。アメリカ人の妻との間に生まれた息子は太平洋戦争で戦死しているが、外交の力で戦争を防ぐことができたのではないか? と私は想像します。 

オヤジのあくび485

白石仁章「戦争と諜報外交」を読む2

 


続けて本書には杉村陽太郎が登場する。国際連盟事務次長を務めた新渡戸稲造はお札の肖像画にもなり有名だが、その後任者が杉村なのだ。サイレントパートナーと揶揄されながら、常任理事国になった日本。杉村は事務次長としてヨーロッパや南アメリカで起こっている紛争の調停にあたる。首尾よく汚名返上とはならない。関東軍による満州侵略が表面化し、日本政府はそれを押しとどめることができなかったのだ。やがてリットン調査団が派遣され、報告書が出される。おおむね日本は報告書に否定的な立場をとるが、杉村は日本に有利な点もあるとして、100%否定を避けようとしているのだ。ただし支持でもなく当時の中国治安の現状に対して報告書の理解が浅いことを指定している。

歴史の教科書では、この後松岡洋右全権大使が出てきて国際連盟脱退に至る。杉村は松岡個人の資質よりも、むしろ日本国内の感情論に問題を感じている。そして杉村自身も国際連盟事務次長を辞することになる。

話は逸れますが、大使に準じる立場として公使が派遣されているのだけど、当時は全ての国と大使を交換しているわけではなく、大使館を置いていることが、友好の証であったらしい。今でも北朝鮮を始めとして幾つかの国の公館は日本国内にない。

その後、イタリア大使、フランス大使となるが、イタリア大使の頃、イタリアはエチオピアに侵攻を企てており、当時エチオピアと日本は親密な関係にあったので、通商面と政治を切り離す何ともアクロバティックな外交を展開することになる。当時の外務省に杉村を凌ぐヨーロッパ情報に詳しい人物はいなかった。しかし、残念なことに杉村も癌に冒されて、太平洋戦争前に亡くなってしまうのである。

オヤジのあくび484

白石仁章「戦争と諜報外交」を読む1

 


日本が世界に伍して、大国としてのパフォーマンスを求められた場面として、本書では第一次世界大戦後のヴェルサイユ会議に「五大国」の一つとして列席した場面を挙げている。アメリカやイギリスがいくつものホテルを借り切って数百人規模のスタッフで対応しているのひ比して、日本はそこまでの準備や情報収集ができず、サイレントパートナーと揶揄されたのだ。日本にとって苦い大国デビューでありました。その結果できたのが、外務省革新綱領。情報部が新設されることになる。その部長であり、その後日米関係が日増しに険悪になっていく時期に駐米大使を務めていた外交官が、本書に登場する一人目の外交官斎藤博。同僚だったこともある吉田茂が「口八丁手八丁と評した行動力は半端ではなく、戦争に訴えなければならないような問題は日米間にはないとアメリカ国民に訴え続けたのだ。そして太平洋の平和と安定を図る日米共同宣言を構想したのだ。この辺りは関東軍・陸軍が大陸を侵略している現実と矛盾しており、斎藤が国内事情に疎いと指摘される所以だ。折から揚子江を航行中のアメリカ船パナイ号を日本海軍の飛行機が攻撃して沈めてしまうという事件が起きる。もちろん中立国の船を無警告で沈めたのだから弁解の余地はない。この最悪の事態に際して、斎藤はラジオを通じアメリカ国民に対して謝罪する。大使として八面六臂の活躍を続けながら彼に残された時間は限られていた。1939年ワシントンで永眠。遺骨はアメリカ軍の巡洋艦で日本に礼送された。

外交官としての彼が何を願って行動していたか? それだけはよくわかる。ロンドンの軍縮会議随員としての活躍以降、軍備の縮小、平和友好の実現は一貫した信念だったのだ。

オヤジのあくび483

藪中三十二「世界に負けない日本」を読む2

 


外交のニュースは日々流れているけれど、どこを強調するか? によって受け止め方がだいぶ変わってくる。例えば尖閣諸島の近くを中国の船が航行したことは、よくニュースになるが、その向こうの海で行われている油田開発は今どうなっているのか? 筆者は2008年5月の胡錦濤主席との合意を基に話をしているが、現状油田開発の実態は中国側のみが把握しており、日本側は何もわからない。

北方領土竹島にも感じるが、現状が実効支配だからと言って、占有した国の領有権を認めていたら、世界は強いもの勝ち、軍隊を動かしたもの勝ちになってしまう。時間をかけてでも主張し続けていかなければならない外交という作業があると思う。

そして北朝鮮日本海に向かってミサイルを頻繁に撃ち、核開発も世界の声などどこ吹く風で進めているこの国は、東アジアの不安を煽り続けている。周辺国を不安に貶め威嚇することこそが北朝鮮の常套手段なのだから始末が悪い。トランプ前大統領と握手を交わそうが、すぐに手のひらを返してくる。気になるのは、アメリカや中国、そしてお隣の韓国の動向が北朝鮮の動きに影響することはあっても、日本はここ数年北朝鮮に揺さぶりをかけるような外交を展開したことがあったのだろうか?

ロジックを駆使して、言うべきはしっかり言う外交を展開してほしいと願うばかりなのです。

オヤジのあくび482

藪中三十二「世界に負けない日本」を読む1

 


始めに英語力の話が登場する。「中学3年生の英語の教科書を丸暗記していればそれでいい」らしい。ではその後も続く高校でのいわゆる受験英語や大学での英語は何だったのだろう? 

ところで藪中さんは日本の大学を卒業していない。大阪大学の3年(3回)生で外交官試験に受かったので、中退しているのだ。だから藪中さんの最終学歴はアメリカ留学時のコーネル大学なのだ。この留学中の苦労が藪中さんの英語力の裏付けとなっているらしい。

筆者はグローバル社会で必要な資質として、第一にロジックを持つことを挙げる。具体例としては北朝鮮を巡る六カ国協議の冒頭で拉致問題についての発言例が出ている。そもそも六カ国協議は北朝鮮による核開発を話し合う場であり、拉致問題を話し合うために設けられた場ではない。そこで筆者は安全上の問題同様に北朝鮮の経済的な課題から日本からの経済支援には拉致問題の解決が不可欠であると言うロジックを持ち出す。他の国の代表から筆者の発言についてある程度の理解が得られるように捻り出された論理だ。外交官としての苦労の程がしのばれる。その後もイランの核疑惑に対する経済制裁、G8のシェルパを務めた時の苦労話、ASEAN諸国との関係を良好に保つための実話が本書を彩る。