オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

メンデルスゾーン 生誕200年 〜ほいほいのメンデルスゾーン体験

 N響という日本を代表するオーケストラについて、私の評価は、かなり微妙である。「さすが!日本一のオーケストラ!!」とうならせる名演を披露するかと思えば、「今回は、何だかな〜。」と肩すかしを食らうような演奏を聴かされることもある。もちろん演奏の出来不出来は、指揮者の責に負うところが大きいし、そもそも生演奏を聴く喜びは、今回は何が起きるかわからないという「わくわく感やどきどき感」に支えられたものだろう。いちいちがっかりしていては身が持たないのである。

 そのN響の美味しいところをつまみ食いできる番組として「N響アワー」という番組が、ずっと昔から放映されており、私もずっと昔から毎回とまではいかないが、視聴し続けている。先日そのN響アワーで「メンデルスゾーン生誕200年」と題して、ホグウッド指揮による演奏会の模様を放映していた。演奏曲は、ご存知の「バイオリン協奏曲」と交響曲スコットランド」から第三楽章と第四楽章である。

 叙情的にどこまでも甘くメロディアイスな旋律を「古典派の楽曲」を演奏するときのように処理していくホグウッドの解釈には、評価が分かれることころだろう。解説の西村さんは、独特な新しい演奏と評されていたが、この辺りの踏み込み方が番組解説者として、言葉を選ばれていて、実に巧みな間合いである。

 ところでメンデルスゾーン。同時代に生きた天才作曲家達が、誰しも己の内側から湧き出る表現の奔放なエネルギーと己の外側から生活を制限する経済的な抑圧とのはざまで、もがき苦しんでいたのに比べ、ユダヤ系資産家の家に生まれた彼は、経済的な抑圧とは無縁な環境の中で、自由な表現活動を保証されていた。「お坊ちゃま」に育つことが、天性の資質を発揮することに、どれだけ好都合なのか?麻生・鳩山と「おぼっちゃま総理」が連続している我が国の世襲政治家からは想像しにくいことだが、メンデルスゾーンの場合には、少なからず周囲の環境が本人の活動に好条件として作用しているように思う。

 N響の向こうを張るわけではないが、生誕200年を祝い、個人的な体験を元にメンデルスゾーンについてひとくさりしてみたい。しばらくお付き合いあれ。