オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

機械に助けてもらってきた。今までもそしてこれからも 717

なぜか?日曜日の正午過ぎ「のど自慢」の時間帯に「TVタックル」を放映している。今日は、ロボット工学の古田博士が登場し、人工知能やロボットと人間について話し合っていた。政治家が泥仕合いを画面で演じているよりずっと爽やかだ。
パッくんが、2045年のシンギュラリティについてふれようとしていたが、番組はあまり深入りせずに、おちゃらけて終わってしまった。

しかし、考えてみれば、産業革命以降人間は機械の力を借りて生活してきたし、これからもそれは続くのだ。電気を利用するすべての機械、ガスに頼る熱エネルギー。いちいち取り上げればきりがない。ただ、それがAIとかロボットという今までに現実にはあまり見慣れない機械が登場したことで、戸惑っているのだ。(SFや漫画では、とうの昔に主役を張っていたのだけれど。)楽観的には、人間の賢さの程度に応じた棲み分けが成されるだろう。今まで機械と人間が棲み分けてきたように。

ここで少し音楽の話。楽器は、本来美しい音をより弾きやすく進化してきた。典型はピアノで、この楽器ほど音が出しやすい楽器はない。ただし美しい音を出す技術は別物だけれど。でも、美しい音への感性は、経験値に左右されるらしく、古典的な弾きにくい伝統楽器が今でも権威を保っている。弦は金属製だけど、ヴァイオリン然り、私が最近さわっている琵琶然りである。この音色に取って代わることが倍音を解析すれば、シンセサイザーでも可能なのだろうが、琵琶をさわっていると、とても微妙なそしておそらくは一回しか出せないかもしれない音をシンセサイザーで再現することは困難を極めると思う。
もう一つは、合唱の話。平均律に耳が慣れてしまった現代人が、純正律の感覚を取り戻すために、ハーモニーディレクターという機械の力を借りている。そのことは、人間のプライドに関わることなのだろうか?
また、倍音のなり方がわからないので、スペクトラムアナライザーを使えないか?今、考えているのだけれど、人間がわからない音を機械に教えてもらうことは、恥ずかしいことなのだろうか?
人間ができないこと、できなくなってしまったことは、機械の力を借りるしかない。
機械をこれからも上手に利用して人間は、生き延びていくしかないのであります。