オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

音楽における和魂洋才 〜薩摩琵琶とコーラス〜

辞書によれば、日本人が伝統的な精神を忘れずに西洋の文化を学び、巧みに両者を調和させることを和魂洋才と言う。伝統的な精神とやらの中には、かなり過激な思想が紛れ込んでいる場合があるので、注意が必要だが、守備範囲を音楽という伝統芸能・芸術に限定していれば、それほど過激な思想に傾くこともないだろう。
表題のようなことを、うすぼんやりと考え始めたのは、一昨年の6月に薩摩琵琶を習い始めてからだった。こんな美しい音色を奏でる楽器があったとは!琵琶の弦は絹糸だけれど、その音色はエレキギターの刺激的強圧的な音とは違い、ビンビン響くのに、ザワザワと不快な感覚が起きない。いわゆるモードはあってもコードはない。干を微妙に押すことで音程を調整しているので、実にデリケートだし、五線譜に書き表せないのも無理はない。
方や、学生時代以来40数年間続けてきた合唱は、どう考えてみても西洋の産物である。ハーモニーは、本来純正律が大原則だが、日本の音楽史には、そのように音を重ねようとした痕跡がない。

巷は、西洋音楽で満ち溢れている。邦楽が聴こえるのは、初詣の境内くらいだろうか?グローバル化で世界は一つになったから、インターネットでどこにいても情報のやりとりができるから、私たちは世界中の音楽を共有できる。
しかし、だからと言って、いやだからこそ、私たちは一体何者なのだ?日本に生まれ、日本で育ち、でもピアノ教室やエレクトーンを習う子は多くても、琵琶を教わっている子はあまり聞かない。伝統芸能につきものの流派ごとのこだわりや特徴が、一般化を阻害しているのかもしれない。そもそも音楽大学で琵琶を教えている気配がない。アカデミックな意味での系統的な教育システムがない。

薩摩琵琶を弾き、コーラスを歌いながら、そんなことを考え続けていきたい。