オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

みんなで歌おう?それってひょっとすると歌わされていない?

考えが甘々でゆるいのかもしれないけれど、みんなで歌うまたは歌わされることに抵抗を感じる人がいたとしても、決しておかしいことじゃないと思う。「歌は楽しいのだから、みんなで歌って当たり前」という発想の方が、むしろ危なっかしいとへそ曲りくんは思う。

一般的に合唱団というのは、コーラスをすることが前提で集まってくるグループだけれど、参加メンバーが全員で同じ曲を歌うまたは歌わされることを無理強いしないようにできないものか?。練習は曲とので出会いであり、一種の体験だから、少しお付き合いしていただかないといけないが、実際の演奏では歌いたい曲を選ぶ。歌いたいパートを可能な範囲で選ぶ場面があっていいと思う。だれも選ばないなら無理して歌うことはないだろう。パートが揃わなければ、誰かにお願いするしかないだろうけれど、それでも「最初からみんなで歌うに決まっている!」よりマシだと思う。結果コンサートを開いたら、ステージ上で入れ替わりが頻繁に行われるかもしれない。でもオーケストラだって曲によって編成替えをしているのだから、そんなにおかしいことをしているわけじゃないだろう。もし、それでは個人の自由度が高すぎるのであれば、ステージごとの選択制という方式もありかな?

発声練習の前によくやっている体操だって、毎回ほとんど同じことを繰り返すのなら、ラジオ体操じゃないのだから、一斉に揃ってやる必要はないでしょ。各自のペースで、一番気持ちいい体操を重点的にやればそれでいいと思うのですが。
音が取れていないパートや個人を指摘するより先に、自分の出す音に対して、主体的に主張しながら、且つ責任を感じて歌う歌い手を育てることを先行させるべきだと思う。