関西のハーモニー、関東の声
戦前の合唱史を調べていたら、声勝負の首都圏、ハーモニー勝負の関西圏的な構図が見えてきて、興味深い。力技パワー声押しの関東とテクニックの関西と言い換えてもおもしろい。
元を言えば、東京周辺に音楽の高等教育機関が集中してしまったことから、声では叶わんと感じた?関西の皆様が「じゃぁ、わいらはテクニックで行きまっせ」となったらしい。陽ちゃん(福永陽一郎)先生が語っていたことだけど、ある時期の関西学院グリークラブが一番声の小さいメンバーに合わせてアンサンブルづくりをしていた伝説と合致するし、力技勝負に出て昭和30年代関東節と評されていた母校の横浜国立大学グリークラブが、結局関西学院グリークラブに叶わなかった理由も見つけられそうな気がする。
合唱から離れてしまうけれど、言葉に対する語感にも、関西圏と関東圏に大きな差があり、かたや柔らかくてかたやゴツい感じなこととも共通点を感じます。
参考にさせていただいた資料