オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび210

ぼくの転機、

今後は花の60代、実りの70代、刈り入れの80代。

 

振り返ってみると、およそ15年くらいのスパンで生き方に節目が付いているように感じる。意図的というよりは、結果としてそのような景色が浮かび上がっているという感じだが。

 


第一期は、13歳〜15歳くらいまでの鶴見俊輔曰く、神話的時代(鶴見氏の場合もあまり思い出したくないような事実を含めて、白濁化した過去という括りに押し込めている感じかするけど)。いろいろな経験が白濁とした時間の中に埋れ、自分の意思が働いていたかどうかさえ、はっきりしないそんな時代。誰しもそんな少年期を過ごしているのだろうけれど。親父が進学を期待していた高校へは進めず、さらには当時は所謂トップ進学校ではない、単線二両編成のディーゼル車に乗って、牛小屋横の坂を登って通う何とも牧歌的な環境の高校へ進んだ。

どうやら不連続な自分自身の人生が始まったようにも感じています。

 


第二期、振り返れば現在に至るいろいろな種がこの時代に蒔かれ、苗木として力を蓄えていた気がする。これが28歳〜30歳くらいまで。高校時代の鉄道研究部と50歳代の頃の撮り鉄ひとり旅。大学グリークラブ入部、学生指揮者就任に始まる音楽とりわけ合唱人生。読書傾向とオヤジのあくび。マンガ好き。シナリオセンターや神楽坂の森の会さらにはほおずきの会に通って脚本や演劇にはまったこともあったっけ。最近とても驚いたことに息子がその方面に興味があるらしい。小学校での教育実習と小学校の初任時代から始まる、何よりも教育という仕事のおもしろさの発見。それら全てがこの時代に育まれていた。私の青春時代と言えるかな?

 


第三期は、様々な選択肢、可能性? を絞り込み戸塚混声合唱団という一般合唱団を立ち上げた頃から、常任指揮者を退くまでの43歳〜45歳くらいまで。教師としても未完成なパワーファイターだったような時代。学校教師としてより合唱指揮者としての方が目立ち過ぎていたきらいはあるけど(この頃は二つの一般混声合唱団を指揮していたからなぁ)、マルチプレーヤーとして、ヤリヤリだった時代。朱夏前期。

 


第四期は、第三期の反省? に立ち、教員として自分なりに、あくまでもできる範囲ではあったにせよ奮戦したつもりの時代。担当で言えば、地域担当、教務主任、副校長時代、朱夏後期。

20160331定年満期より一年早く59歳で退職。

 


さて次の転機である第五期にすでに突入している。正規職員退職後も、しぶとく非常勤講師として学校現場にしがみつき、職員室に居候? している。

自分の音楽表現の可能性が僅かでもあるなら、ラストチャンスのつもりで探ってみたい。少し時間ができたので、2016年6月から薩摩琵琶を習い始めた。五線譜に書いていない口伝で教わる音楽は、とても新鮮! 2016年10月に地元に港南台アカペラシンガーズを設立。コロナ禍の中、感染対策を講じてハモっています。さらに2017年9月からお江戸コラリアーずにも参加。

 


元気で生きていれば73歳〜75歳くらいまでが白秋の時代なのかなぁ。ちょっと強がって「第二の青春」と言い換えようかなとも思っているのだけど…。