昭和を語ろう3
舗装されていない道には、水たまりができてアメンボが泳いでいた。ドラえもんによく出てくるけれど、子どもたちは公園ではなくて土管が置いてある空き地で遊んでいた。なぜ、あのような広場があちこちにあり、子どもが自由に出入りすることができたのか? 今考えると不思議だが、ジャイアンが土管の上でコンサートをやっているようにみんな平気で土管に登って遊んでいたのだ。もう一つは路地。クルマが入っていくには狭い、ほとんど歩行者専用のような道幅は、キャッチボールにうってつけだった。
それらが無くなっていくと同時に、子どもたちも何かを見失ってしまったようだ。
あの時代の温もり感を「三丁目の夕日」では伝えてくれていた。サザエさんやちびまる子ちゃんの時代設定が未だ昭和のままなわけは、演出上意図しているところがあるのだろう。
私は、昭和の子どもたちは泥だらけだったことを思い出す。遊びから帰ってきたら皆泥だらけ。今だってある程度はそうだけど、ゲームにしがみついている時間が長くなり、土と子ども、虫と子ども、転んだ擦り傷の痛みと子どもの距離は、どんどん広がり離れていると思う。衛生的と言えばそうかもしれないが、土や虫や暴れ回る体験は、大げさに言えば、地球上のただの弱い生き物にしか過ぎなかったヒトにとって原点だったはずなのだ。
合理主義能率主義や科学では割り切ることができない大切な何かを感じて体験する機会が、昭和の頃までは、ある程度残されていたと思うのです。