オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび296

安岡正篤「青年の大成」を読む2

 


私が勝手に学び続けるエネルギーなどと書いてしまったところで、次に自己錬成の秘訣を三つ語っていらっしゃる。

一つ目は寸陰。簡単に言えば時間の隙間をうまく使うということだろうか? 人には思うようにならない時間とその隙間に少しだけ自由に使える時間がある。オヤジのあくびは、その時間の産物のだけど、まぁゲームで暇潰ししているよりマシでしょ的な感じ。安岡氏は旧制中学へ通う一里の道を歩きながら本を読み続け、何と牛にぶつかった経験があると言う。最近電車の中でスマホのゲーム三昧が目につくが、せめてkindleでも読めばいいものをと願うのは、いかにも口うるさいジジイになった証拠かな?

二つ目は、良き師良き友をもつこと。コロナ禍以来これが少し困った。けれど対面による琵琶の稽古は続けてくださっている。何も知らずに邦楽の世界に飛び込んだ私にとっては琵琶の師匠は唯一無二の先生なのだ。安岡氏は自分の世界に閉じこもらずに広く多面的な学びを推奨されている。

最後が愛読書。このブログでも読書履歴を公開してきたけれど、自分が若い頃からの愛読書とは何だろうか? どこかで書いたように作家として、なだいなださんが好きなのだけど、青年期からずっと本棚の一角にデーンと鎮座しているのが手塚富雄訳の「ツァラトゥストラ」だ。たしか高校生の頃、昭和48年から置いてある。諸刃の剣のような誤読が可能な本だけど、ある意味ボクの原点かもしれない。

この本には、巻末に母校100周年の講演録が収められている。小学校での講演の中で、人間の本質的要素は徳性と習慣にあり、知識技能は付属的要素に過ぎないと述べている。尋常小学校の尋常とは、当たり前、どんな時でも平常と変わらないことを意味しており、いかなる境遇にあっても平常心を失わぬように処する根底を養う場所であると言う。記念碑に「心明るく、望み清く」と書かれた氏は、明と清の徳こそが日本にとって大切と言う。偶然中国王朝の名前と被るが、東洋で大切にしたい心のあり方を示しているのかもしれない。