オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび667

橋場弦「古代ギリシアの民主政」を読む2

 


陶片追放によって国外へ追放された人は13人。従来は僭主の出現を防ぐためと言われてきたが、本書では有力貴族同士の破滅的な対立を防ぐためという説を掲げています。なお国外追放は永久ではなく、再び戻ることができました。

また陶片に名前を書くためには、文字を書けることが前提だと感じますが、たぶん大部分の人は代筆を依頼していました。当時のアテナイ識字率は15%程度。公教育制度がまだ整っていない時代の話なのです。

さてアテナイは、程なくして厳しい状況に追い込まれます。そしてその引き金となったのは27年も続いたスパルタ・シラクサとのペロポネソス戦争でした。当初籠城のために城壁の中へ市民が集められ、アテナイは人口過密になってしまいました。そこへ腸チフスと思われる疫病が人々を襲い、市民の三分の一が亡くなったのです。ニケアスの主導によって休戦と和平が訪れますが、民主政は結局好戦派の将軍を抑えることはできず、負けたアテナイは降伏に追い込まれる。アルギヌサイの海戦を指揮した(戦いに勝ったもののその後の暴風により艦隊が壊滅)将軍を処刑する案がかけられたが、その民会で議長を務めていたのがソクラテスでした。ソクラテスが抵抗を試みたものの、結局当の将軍は処刑されてしまう。衆愚政治における群集心理の例として歴史に名をとどめてしまうことになります。

本書ではアテナイ籠城の際に地域から引き離され、村落共同体としての繋がりを失ってしまったことも人々を不安に陥れた一因であると指摘している。コロナ禍が落ち着きを見せていても絶えず戦争の恐怖に怯えている現代人の心理と通じる気がします。

降伏したアテナイを30人の僭主による政治が行われ、富裕市民1500人を逮捕処刑した。この中にはソクラテスの弟子であり、プラトンの母の従兄弟にあたるクリティアスが含まれていた。

ところが民主政は、まるで不死鳥のように蘇るのです。もう二度と煽動的な発言に振り回されないように、成文化した法に則った民主政が復活したのです。この時期の裁判として歴史上最も有名な被告人がソクラテス。不敬神に対する公訴で訴えられている。彼はゼウスが雨を降らせるという信仰を否定していた。現在であれば非科学的な信仰を否定してもおかしくないが当時のアテナイの人は信仰を共有することで結びついてきたのだからソクラテスの考えにはついていけなかったのだろう。また彼が青少年を腐敗堕落させているという印象もあった。

哲学の祖として崇められている現在のソクラテス像とはかなりかけ離れているが、同時代のアテネを生きていた人々にとって、彼の教え子である将軍に恨みを抱いていた人や、ソクラテスが民主政を批判していたことを知っていた人は相当数に登っただろう。そうして出された死刑判決。著者はむしろ民主政が機能した例としてソクラテスの裁判を取り上げているのです。

 


この投稿、さらに明日に続きます。

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