オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび415

水谷修夜回り先生」を読む

 


子どもたちの心は、とても柔らかい。硬い殻に包まれてはいないのだ。そして周囲の環境によって大きく揺れ動く。自力ではどのように努力しても乗り越えられない壁を、私は差別だと感じる。多数対一人の構図が多いいじめ、子どもに対する虐待、広げれば障がい、性別、出身などもそうだ。この本に出てくる子どもたちも定義付けすれば、社会の中で差別されている子たちだ。けれど病名をつけたところで治療法がなければどうしようも無い状況と同様で、彼ら自身が自分を取り巻く環境をどう乗り越えようとしているのか? そして当人に教師としてどう寄り添えるのか? この本は自問自答を繰り返している。

この本には、何人か死を選んだ子どもたちが登場する。また水谷先生の関わり方に納得していない子も出てくる。正解やマニュアルなど、どこにもないのだ。教師は一人の人間として自分の経験値やそれなりの価値観から解決に向かおうとするが、それが当事者の子どもにとっても正解とは限らないのだ。

私自身の経験。祖母と暮らしている子の話。母親は父親でない男と別居して暮らしている。その母親から疎まれてしまったことで、行動が荒れた例を知っている。担任教師として祖母と長い時間話し合ったが、根本的に彼の寂しさを救う手立ては見つからなかった。やはり教師はアポリアなのか?

教師の仕事は、偽善と紙一重に受け取られる時がある。また自分の言動の正義を信じ込まないと前に進めない時があり、自意識過剰になる時も。それでも教師という仕事を必要としている子がどこかにいるはずなんだ。きっと。この本は改めて忘れてはいけない大切なことを思い出させてくれた。